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五輪前のチベット弾圧

チベットでの動きが激しくなってきました…。

産経新聞(2008.3.15 13:05)
「暴動はダライ集団の策動」 中国、威嚇発砲認める 10人死亡も確認

 【北京=野口東秀】中国国営新華社通信は15日、中国西部のチベット自治区ラサで14日に起きた僧侶らによる大規模暴動で10人の死亡が確認されたと報じた。ラサは15日午前現在、鎮静化したものの、厳重な警戒態勢を敷いていると報じた。また、同電は暴動鎮圧で、治安当局が威嚇発砲し、催涙弾を使用したことを確認した。

 新華社電は同日、14日の暴動で多数の警察官が重傷を負ったほか、あらゆる施設などで放火や略奪が発生、石や瓶、引火性液体などを詰めたリックサックを背負った者を多く目撃したことや鉄の棒や刀類を持った暴徒がいたと伝えるなど、暴動の激しさを強調。
 同電は「警官隊は武力行使しないよう命じられたが、デモ群衆を解散させるため、限られた催涙弾を使用し、威嚇発砲を行わざるを得なかった」としている。一方、同自治区のシャンパプンツォク主席は同日、当局による発砲を否定した。

 一方、同電によると、暴動では「関係部門が法に基づき、効果的な措置をとり、適切に事件を処理している」と述べた。これは抗議行動に参加した僧侶や住民を拘束していることを意味するとみられる。また、「暴力行為は社会秩序を破壊し、人命と財産を危険に陥れた。ごく一部の者による陰謀は消滅する運命だ」として、今後も武力鎮圧を強化する姿勢をみせた。
 同電によると、チベット自治区当局者は14日、「暴動はダライ(・ラマ14世)集団が策動した。十分な証拠がある」と述べた。中国政府がダライ・ラマが暴動を動かしたと決めつけ、従来通りの強硬姿勢を貫く構えをみせたことで、インド亡命中の支持者だけでなく、自治区内の僧侶らが反発するとみられる。

 現地の市民は15日、産経新聞の電話に対し、「店やホテルや車やバイクなどが焼かれたが消火された。いまは落ち着きを取り戻したが、抗議行動がいつあってもおかしくない」と興奮した様子で話している。

 ここに来て,中国は急激に大変な状況になっているようです。日本では毒餃子事件があってから,中国がどういう国かということが次第に認知されているような気もしますが,それでもまだまだ現実の中国は奥が深いですね。
 北京五輪を目前に控えた世界の注目度を利用し,これまでチベットの弾圧についてのデモやアピールが行われてきたのでしょうが,中国政府の度を越した過剰反応によって,さらに世界から注目されてしまう事態になっているようですね。

 日本は戦後,律儀なまでに平和主義を貫き通していますが,中国は建国後,一貫として軍事大国への道を歩み,常に他国との紛争を引き起こしてきました。中ソ国境紛争,中印国境紛争,印パ戦争への介入,台湾への恫喝・圧力,スーダンのダルフール紛争の助長など。国内においても,チベットはもちろん,文化大革命・天安門事件での弾圧・虐殺など枚挙のいとまがありません。最近では,東シナ海のガス田問題で日本に対する軍艦の派遣をちらつかせた恫喝の事実。さらに昨年,中国海軍幹部がアメリカ太平洋軍のキーティング司令官に対し,ハワイを基点とした「太平洋分割管理」を提案したことが明らかになっています。これはもう覇権主義の極みですね。

 なんかこうやって見てみると,中国で今夏「平和の祭典」を行う予定ということが,何かの冗談のようにも思えてきます。中国にとってオリンピックを誘致したことは,これまで抱え込んでいた様々な矛盾を噴き出させることになり,世界にその姿が明らかにされるきっかけになったわけで,とんでもない失政ではなかったのではないかと…。
 今年になってからは,アメリカの映画監督であるスティーブン・スピルバーグ氏が,スーダン・ダルフール問題への中国政府の姿勢を不満として,北京五輪の芸術顧問から退くという声明を発表していますね。
 中国のこれからの展開は,ますます読みにくいことになりそうです。

JR湖西線の駅名変更

 前回の寝台列車の件に続き,JRのダイヤ改正に伴う変更の話題です。
 京都市の山科駅から琵琶湖西岸を通って北陸線につながるJR湖西線の駅のうち3月15日のダイヤ改正に合わせて2つの駅の名称が変わります。一つは「雄琴駅」から「おごと温泉駅」へ,もう一つは「西大津駅」から「大津京駅」への変更です。この変更は地元の要望からのものですから,大津市はこれに伴う費用をJRに支払っています。私が払った税金も関係するということで,少し興味があったりして…。微笑

 まず「おごと温泉駅」です。この駅の近くには雄琴温泉があって,もっと温泉地であることをアピールしたいということで今回の変更となったそうですな。駅名を変えるのは結構なことだと思いますが,地名の「雄琴」がひらがなになっています。今回,温泉地のアピールのために,駅前に「おごと温泉 六角足湯」という足湯の施設を新たに建設しました。…あ,これも「おごと」ですね。駅名に合わせたのかな…。そう言えば「おごと温泉観光協会」もひらがなでした…。微笑

 日本全国では平成の大合併のときに,ひらがな名の自治体が大量に発生しました。この背景には,都市名を柔らかいイメージにしたいとか,対等合併の際にもともと同じ名称の漢字の自治体名があって,それをそのまま使うと吸収合併みたいでイヤだとか,色々理由があったかと思います。ただ,漢字の地名というのは漢字そのものに意味があることが多いので,ひらがなの地名に変えてしまうことには,地名のもつ歴史的な背景や意味を失わせてしまうという欠点があります。

 雄琴という地名は,このあたりに平安時代の貴族であった今雄宿禰の荘園があって,その「雄」の字とその邸宅から聞こえていた琴の音から来ているそうです。現在の雄琴駅前には「琴のしらべ」という噴水があり,これは当然のことながら雄琴の由来をイメージしたもので,琴の意味を大切に考えたものでしょう。
 それでも,関西で「雄琴」と言えば,風俗街をイメージする人が多いので,それを嫌って「おごと」にしたのかな…という推測はできますけどね。しかし,風俗街のあるところは温泉街とは明確に区別されていますし,昨今は衰退傾向にあるかと思います。そもそも風俗街があるところの地名は「雄琴」ではありませんしね。という訳で,個人的には「雄琴温泉」という駅名がよかったなぁ…と思ったりします。まぁ,今さらなことなんですが。滝汗

 もう一つ駅名が変わるのが「西大津駅」。新しく変わる「大津京」という駅名について,ちょっとした論争があるようです。古代に大津京があったとされているこの駅の周辺ではこれまで発掘が行われていたので,それが「大津京」への駅名変更の根拠となった訳ですが,それに反対する研究者によると,それはそもそも天皇の御座所である「大津宮」であって「大津京」ではないということです。「京」の特徴としては,碁盤目状の区画があることだそうなんですが,この地ではそれは見つかっていないということが理由みたいですねぇ…。街の体裁を表す碁盤目状の区画がなければ「大津京」とは言えないということなんでしょうかね。まぁ,「京」には碁盤目状の区画はいらないとする研究者もいるそうなんで,これからさらに論争が続くことになるようです。

 「大津京」の論争については今後の展開にまかせて,私としては,とりあえず今回の駅名変更が地元の振興につながればいいかな…という感じです。今まで「西大津」で慣れているので,そういった違和感はありますけど…。でも,論争の結果によってはまた駅名変更になったりして…。笑顔

さよなら銀河

JRの寝台特急や寝台急行が次々と姿を消すようですね…。

産経新聞(2008.3.13 01:40)
「銀河」あすラストラン ホームにはファン大挙

 東京駅10番ホームから機関車にひかれた「銀河」がゆっくりと発車した。12日午後11時。鉄道ファンら約300人が身を乗り出し、一斉にカメラのシャッターを切った。青い車体が遠ざかるにつれ、「さよなら」と甲高い声が飛んだ。
 引退を前に、260人の定員は、平日でも7割からほぼ満席。14日発の列車は1カ月前の発売開始後30秒で売り切れ、“引退セレモニー”はラストランを待つことなく、ヒートアップしている。

 「銀河」は昭和24年に登場し、翌年に愛称が付けられた。現在は、下りが午後11時に東京駅を出て午前7時18分に到着し、上りは大阪発午後10時22分で東京着は午前6時42分。新幹線の始発・最終よりも“遅く出て、早く着く”ことでビジネスマンにも重宝された。
 12日に東京駅から「銀河」に乗った西東京市の自営業、土井信成さん(59)も食品メーカーに勤めていた40代のころ、大阪出張はいつも「銀河」だった。
 車内は個室がなく狭い2段ベッドが並ぶ。仕切りはカーテンだけだったが、「乗り合わせたほかのお客さんとも話ができたり、旅の風情があったんですよ」。1度、小学生だった長男と一緒に乗ったときは、いつもより親子の話が弾んだ。「『お父さん、電車で寝られるんだね』って、息子がはしゃいじゃってね。ブルトレは親子に忘れられない思い出までくれました」。

 「銀河」とともに14日、姿を消すJR九州の寝台特急「なは・あかつき」(京都-熊本・長崎)は、機関車側のヘッドマークがなくなる盗難被害が発覚したばかりだが、「銀河」を運行するJR西日本も備品が被害に遭い、一時は車体側面の行き先表示幕などを紙や段ボールの代用品にして運行していたほどだ。

 今回で昭和62年のJR発足後、ブルトレは13列車が廃止に。JR西は「銀河は利用が減り続け、平均乗車率は4割強。新幹線や航空機の運行に加え、各地に安いホテルができた。料金で大きな開きのある深夜バスの台頭も大きい」と廃止の理由を説明する。
 残るブルトレは「北斗星」(上野-札幌)「日本海」(大阪-青森)「あけぼの」(上野-青森)「北陸」(上野-金沢)「はやぶさ・富士」(東京-熊本・大分)の6列車となる。
 「北斗星」は、今回のダイヤ改正で2往復から1往復に減便される。北海道新幹線開業に伴う青函トンネルの工事が理由だ。同トンネルは線路を外側に1本増やすなどして在来線と新幹線が同じレールを共用するが、JR東日本は「新幹線開業後に2往復に戻すかは未定だ」と話す。
 鉄道アナリストの川島令三氏は「JR各社は、新幹線の新車両を導入しなければならず、ブルトレの新車両をつくる余裕がない」とみており、ブルトレの前途は多難だ。

 「銀河」ってどこかで聞いたことがあるなぁと思っていたんですが,ちょっと記憶が蘇ってきたようで…。私が学生のときに東京から広島までJRに乗る機会がありまして,そのときに当時一枚2200円だった「青春18切符」を使って東京-大垣間を走る夜行の快速(今はムーンライト号というんですかね)に乗りました。それが盆の時期だったんで,車内は大混雑。仕方がないので立ったまま眠るという状態で。どうもこのときに銀河を見かけたようですね。「あぁ,金があったらああいう特急に乗れるんだなぁ」と何となく思っていたような覚えがあります。途中の駅で銀河に抜かされたのか,それとも単に駅に停車していた銀河を見たのかという記憶がもう一つ曖昧なんですが…。当時の運行ダイヤがどうだったのかも分かりませんしね。ともかく,その銀河が姿を消しますかぁ。ついに一度も乗る機会はなかったですけど…。滝汗

 寝台列車と言えば,その後,佐賀県の鳥栖駅から京都駅まで寝台急行に乗ったことが一度だけあります。車内はかなり空いてましたけど,一番安い寝台車両だったんで結構スペースがきつかったですね。まぁ,旅の風情は感じられてよかったんですけども。このとき京都駅に到着するのが朝の5時ごろだったので,検札に来た車掌さんが「着く前に起こしましょうか?」と気を使ってくれました。結局,ちょうど着く前に目が覚めて寝台の横の座席に座っていたら,車掌さんが「もうお目覚めでしたか~。」と笑顔で声をかけてくれたことを覚えています。微笑

 それにしても,鉄道ファンというのは「熱い」ですね。私も鉄道自体は結構好きなんですが,ここまで熱くなれません。滝汗そう言えば,1997年に京都市営地下鉄の東西線が開通するときに,京阪電鉄の京津線の一部路面電車となっていた部分(京都の三条京阪駅~京阪山科駅)が地下線化されましたが,そのときにカメラを抱えた人たちがうじゃうじゃとやって来ました…。鉄道が廃止されるというニュースなんかでは,鉄道ファンが大勢やって来て写真を撮りまくっているという映像を見ますが,実際にそういう場面に出くわすのは初めてでして。「へぇ~すごいね」などと一人で感動してしまいました。でも,ヘッドマークの盗難はだめですねぇ…。

 先日,報道されていたように思いますが,JRの湖西線~北陸線を走る特急「雷鳥」の車両が来年以降リニューアルされるそうで…。今の車両は,昼間走る特急の昔からの定番のタイプです。う~ん,このへんは全然詳しくないので,この車両を何と言うのか分かりませんが,先頭がモコッと膨らんだような,肌色ベースに赤いラインが入ったやつですね。笑顔ということで,新しくなる前に一度乗ってみたい気持ちはあるんですが,銀河のようにまた乗り損ねることになるような気もしています。滝汗

【京都の寺社】車折神社

 京都の寺社シリーズの5回目です。前回の鹿王院から京福電鉄でもう一駅東へ行くと,「車折神社駅」に到着します。その駅前にあるのが車折(くるまざき)神社。もう20年近く前の話なんですが,私が京都に引っ越してきたばかりのころ,この車折神社前駅のホームに隣接した賃貸マンションに友人が住んでいまして,そこに遊びに行ったときに初めてこの神社の存在を知りました。
 芸能人の名前が書いてある札がびっしりと並んでて珍しいからということで,友人に案内されて神社に入ったんですが,確かに壮観でしたね。当時の私としては,どこにでもあるような小さな神社に有名な人たちの名前がこれだけたくさんあるのが不思議でならなかったんですが,そこはやっぱり京都。とても有名な神社だと後から知りました…。滝汗

 と言っても,芸能関係だけの神社というわけではないようです。とりあえず,車折神社のサイトから由緒を引用しますと…。
 『ご祭神・清原頼業(よりなり)公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られる。
 頼業公は大外記の職を24年間も任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた。
 頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられた。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれた。この寺は室町時代に至り、足利尊氏により嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となった。また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られた。これ以後、当社を「車折神社」と称することになった。』
 う~ん,それにしても,京都の地名は読みにくいものが多いですね。「帷子(かたびら)ノ辻」とか「太秦(うずまさ)」とか…。「車折」も変わった名称ですが,やはりそれなりの由来があったわけですね。微笑

 さて,どんなご利益があるのかということが気になりますが…。車折神社によると『頼業公のご学徳により学業成就・試験合格はもとより、特に、「約束を違えないこと」をお守り下さる霊験あらたかな神様として全国的に強い信仰があります。』とのことです。
 例えば,商売については『様々な約束事や契約が守られることにより、集金が滞りなく進み、経営が都合よく運ぶ御加護(商売繁盛・会社隆昌)がいただけます。』 うん,すばらしいですね…。
 一般家庭でも『お金のやり繰りが都合よく運び、生活が豊かになり、お金に不自由しない御加護(金運・財運向上)がいただけます。』 これもいいですね。
 まだまだありますよ。『更に恋愛・結婚においても、様々な約束事や誓いが守られ、順調に成就・進行する御加護(良縁成就・恋愛成就)がいただけ、ご社頭には遠近からお参りする人々が絶えません。その他にも、厄除け・交通安全など、どのようなお願い事に対しても車折大神様は皆様とのご利益をお授け下さいます。』
 ようするに,何でもありということですね。滝汗これはまぁ,全国の神社で言えることなんでしょうけども…。それでも各社それぞれの得意分野(?)があると思いますが,車折神社の特色としては「学業成就」であり,「約束を違えないこと」がご利益のキーワードとなっているということですね。

 芸能に関するご利益は,車折神社の中にある芸能神社で受けられるそうです。芸能神社の由緒を読むと…。
 『芸能神社は車折神社の境内社の一社で、昭和32年に他の末社より御祭神・天宇受売命(あめのうずめのみこと)を分祀申し上げ創健した神社である。
 天宇受売命が芸能・芸術の祖神として古来より崇敬される所以は、<神代の昔、天照大御神が弟である素戔鳴尊の行いを逃れ、天の岩戸にお入りになり固く扉を閉ざされたためにこの世が暗闇になった。 
 その時、天宇受売命が岩戸の前で大いに演舞され、天照大御神の御神慮をひたすらにお慰め申されたところ、大御神は再び御出現になり、この世は再び光を取り戻した。>という故実にもとづく。』
 なるほどですねぇ…。天の岩戸の話には,こういう展開があるのかぁ…。神話というのは本当に奥が深いですね。この芸能神社には,芸能人や芸能団体の名前が記された朱塗りの玉垣(神社の周囲にめぐらされる垣)が2000枚以上奉納されているそうです。そりゃぁもう圧巻です。笑顔

墓地なし死亡禁止条例

ちょっと前の話ですが,不思議なものがあったので…。

産経新聞(2008.3.6 15:37)
「墓地なし死亡禁止条例」を提出 フランス南西部の村

フランス南西部にあるSarpourenx村の村長が、住民約260人に対し、墓地が満杯でこれ以上埋葬するスペースがないため、もしも死んだら罰を与えると通達した。
 村役場に掲示された条例は「墓地に区画を保有していないのに埋葬を希望するすべての住民は、教区内で死亡することを禁じる」としており、「違反者は厳しく罰せられる」という。(ロイター)

 墓がないのに死んだ人には,どのような罰が待っているんでしょうか…。意味があるのかよく分かりませんが,村の規模からすると,「このくらいやらないといけない状況なんで,ここは一つよろしく頼みますよぉ…」というニュアンスなんでしょうかね。

北京五輪の大気汚染

北京オリンピックの大気汚染問題が,再びクローズアップされています。

朝日新聞(2008年03月11日18時56分)
北京五輪期間中、工場操業を制限へ 大気汚染対策

 男子マラソン世界記録保持者のゲブレシラシエ(エチオピア)が北京の空気の悪さを理由に、北京五輪ではマラソンに出場しない考えを示したことについて、中国外務省の秦剛副報道局長は11日、記者会見で「北京は環境改善のために対策を取っている。彼を含め、世界各国の選手が北京に集い、良い成績を挙げることを願う」と話した。
 また、国家環境保護総局の張力軍・副局長はこの日の記者会見で、大気汚染改善への対策として五輪期間中は北京市と(周辺の)天津市、河北省で一部工場の操業を停止、または制限すると明らかにした。張副局長は必要に応じて操業停止の範囲を広げるとして「五輪期間中、北京の空気の質が国の定める目標に達することは保証する」と話した。

 う~ん,マラソンは本当に厳しいですね…。中国の対策というものが全く当てにならないことは,最近の毒餃子事件をはじめ,毒健康食品事件,毒ペットフード事件,毒おもちゃ事件などを考えても明らかです。中国は,各国の選手団が独自に食料を持ち込むのを禁止しようとしていますから,これも困ったものです。そもそも中国に安心して食べられるものなどあるんでしょうかね…。
 北京オリンピックについては,大気汚染を避けて,日本で直前合宿を行う国が増加しているそうですが,中には韓国で合宿する例もあるそうです。これは大気汚染に少しずつ慣れるという意味合いが大きいそうで。おいおい…。滝汗

 先日の日曜日に名古屋国際女子マラソンが開催され,初マラソンの天満屋の中村友梨香選手が優勝してオリンピック代表の座をつかみ取りました。期待していた選手が優勝したのはうれしいんですが,北京の状況を考えると複雑な思いがありますね…。しゅん…マラソンだけの問題ではありませんけどね。

平城遷都1300年祭のマスコット

 以前,「イベントのマスコット」の記事でとりあげた平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターなんですが,あちこちのメディアに登場して話題を呼んでいるようですね。「平城遷都1300年祭を救う会」なるものも出現して大いに盛り上がっているようです。微笑

産経新聞(2008.3.10 00:57)
平城遷都祭キャラに嫌悪感? 賛成は1割以下

 平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターをめぐり、デザインを不満とする市民グループ「平城遷都1300年祭を救う会」のメンバーが9日、奈良市の近鉄奈良駅前で、マスコットの白紙撤回を求める署名活動を展開。この日は、約6時間半の間に市民や観光客ら約680人分が集まった。同会は今後、インターネットを通じて集めた反対意見なども集約し、白紙撤回の要請書とともに、県や事業協会など関係機関に提出するとしている。
 仏教世界をイメージした童子にシカの角がはえたマスコットには不評も少なくなく、同市の自営業、陽群誠さん(26)らが同会を結成、この日、初めて街頭での署名活動に乗り出した。
 同会メンバーらは、通行人らに「マスコットの反対運動をやっています」とアピール。マスコットが描かれたチラシを見せて賛否を問い、「反対」の人に署名を求めた。
 このうち、反対署名した奈良市内の男性会社員(45)は「かわいくない。嫌悪感も感じる」。同市内の主婦(44)も「小さな子供は喜ばないと思う。もっとかわいい方が多くの人に受け入れられるのでは」と厳しい意見。
 一方、賛成とした人からは「斬新」「採用が決まったから」などの意見が寄せられたが、同会によると、賛成としたのは賛否を尋ねた人全体の1割以下だったという。
 同会メンバーの男性(36)は「ここぞとばかりに署名に訪れた人が多かった。年齢層も幅広かった」と話していた。

平城遷都1300年祭マスコット このマスコットのイメージは,大仏ではなくて童子だったんですね…。私の感想は,最近の流行にとらわれない個性的なキャラクターで悪くないかもという程度のものでしたけど,こういう記事を読んでいたら,平城遷都1300年記念事業協会には是が非でもこれで押し通して欲しいという気になってきました。反対している人には申し訳ありませんが,私の中ではこのマスコットキャラクターのイメージが定着して頭から離れません。この気ぐるみを見てみたいという思いがふつふつと沸いてきまして…。微笑

 愛称の募集は12日までということですが,このキャラクターのイメージにぴったりはまった愛称が決まれば,ひょっとしたら批判も吹っ飛んだりするかもしれません。まぁいずれにしても,これだけ喧々囂々の論争になれば,イベントの知名度も上昇して,その意義を考えるいいきっかけになるかもしれませんね。笑顔

【京都の寺社】鹿王院

 京都の寺社シリーズの4回目なんですが,だんだんと個人的な備忘録といった様相を呈してきました。まぁ,それでいいんですけど。写真を眺めていると数年前にあちこちまわったときのことを思い出して,その情景に浸っております。ほげーっと…。微笑
 今回は鹿王院(ろくおういん)ですが,嵐山から京福電鉄に乗車して二つ目の駅「鹿王院駅」で下車してすぐのところにあります。まわりは閑静な住宅街で,その中にひっそりとたたずんでいるという感じですね…。観光客もまばらで,とても落ち着いた雰囲気があります。室町幕府の三代将軍であった足利義満による建立とのことです。

 パンフレットをめくります…。
 『覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院の沿革 康暦元年(1379),廿二歳の足利義満(1358~1408)は,一夜夢の中で毘沙門天と地蔵菩薩が「今の将軍は福も官位も意のままに十分満ち足りている。ここで一カ所寺を建立すれば寿命を延ばすこと間違いない」と語り合うのを聞いて,最も帰依していた五山派の禅僧で春屋妙葩(しゅんおくみょうは)=普明国師(ふみょうこくし)(1311~1388)を開山として,自らの延命を祈願して禅刹を建立し,覚雄山大福田宝幢寺と名づけた。至徳三年(1386)には,南禅寺・天龍寺・相国寺などの五山に次ぐ京都十刹の第五位に列せられて室町幕府の官寺となった。この宝幢寺の開山となった春屋の塔所として同時に宝幢寺内に建立されたのが鹿王院である。鹿王の由来は造作の折に野鹿の群れが現われたことによる。宝幢寺・鹿王院が最も栄えたのは室町時代前期で義満を初めとして義持・義教・義政ら歴代将軍の御成りがあり,応永廿年(1427)には義満十三回忌が天皇の行う法事(済会)にならって宝幢寺で行われ,義持と扈従の公卿らは二十数台の牛車を連ね訪れている。
 しかし,応仁二年(1468)九月七日に応仁・文明の乱の戦火はこの嵯峨一帯に及び天龍寺を始めとして宝幢寺も含め大寺は全て焼失した。同時に全国30カ所に及んだ荘園も守護・地頭の押領にあって次第に失われて,以後宝幢寺の再建は実現せず,開山塔である鹿王院だけが開山春屋の一門の努力で再建され十刹としての宝幢寺の格式を継承していった。この後鹿王院は天正年間には天龍寺の塔頭になっている。
 文禄五年(1596)伏見大地震で鹿王院の伽藍は倒壊した。鹿王院の再興が本格化したのは,江戸寛文年間(1660年代)の住持虎岑玄竹(こしんげんちく)の時である。虎岑は徳川家康最古参の譜代酒井忠次の五男忠知(直参旗本千五百石)の五男で,酒井本家は出羽鶴岡藩十四万石で,虎岑は本家鶴岡藩の外護・支援を受けて鹿王院を再興した。延宝四年(1676)には,昭堂の再建が実現し,再興後の鹿王院は天龍寺の塔頭としてだけではなく創建以来の春屋門派の末寺も含めて六三カ寺で宝幢派を形成してその中心寺院となって明治期の改制まで勢力を維持した。』

 ちょっと長かったですが,明治期までの鹿王院の歴史が端的にまとめられていますね。山門の「覚雄山」の扁額と,客殿の「鹿王院」の扁額は,ともに足利義満の自筆であるとされています。鹿王院自体は焼失の危機や地震による伽藍の倒壊という事態に見舞われてきていますが,創建当時の足利義満自筆の扁額が残っていて,現在も掲げられているということに純粋な驚きを覚えますねぇ…。!
 本堂や舎利殿の前の庭園は,嵐山を借景とする平庭式枯山水庭園とのことです。確かに舎利殿の脇に嵐山が霞んで見えますね。平庭式というのは庭全体に起伏がほとんどないという状態を表し,盛り土をつくった築山式と相対する言葉のようです。庭園の形式的な違いによる分類には,他にも池泉式庭園というものもあるそうで,一番最初に紹介した天龍寺の庭園はこれに当たるのでしょうね。

【京都の寺社】弘源寺

 京都の寺社シリーズの3回目です。前回の天龍寺の塔頭(付属の寺)・宝厳院の拝観は終了ということで次へ移動となったのですが,天龍寺の塔頭はまだありましたね…。という訳で今回は弘源寺です。門前に掲げられた看板の「長州藩兵の刀傷」という文言にひかれたということもありますけど,とりあえず行けるところへは行っておこうと…。微笑

 で,パンフレットをめくると…。『弘源寺は臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の塔頭寺院。永享元年(1429)室町幕府の管領であった細川右京太夫持之公が天龍寺の開山である夢窓国師の法孫にあたる玉岫(ぎょくしゅう)禅師を開山に迎え創建した。持之公の院号をとって弘源寺の寺号とした。細川家は清和源寺の流れをくみ,足利家より分かれた細川家九代が当寺の開基持之公である。創建時は小倉山の麓に位置し北は二尊院,南は亀山にいたる広大な寺領を有していたが,幾度かの火災に遭遇し変遷を重ね,明治十五年に末庵である維北軒と合寺した。本堂からの眺望は雄大で,嵐山を借景にした枯山水庭園が春の桜,秋の紅葉と調和する景色は嵐山屈指である。』
 細かい謂れはありますが,宝厳院と同じく室町幕府の管領・細川氏が創建に関わった臨済宗の禅寺ということのようですね。

 そして庭園は,宝厳院にも登場した,嵐山を借景にした枯山水庭園です。これは写真がありますね~。やっぱり京都の寺院は庭に特徴がありますからね。ちゃんと写真を撮っておかないと…。で,これは「虎嘯(こしょう)の庭」とよばれているそうです。なんかよく分からない言葉ですなぁ…。
 弘源寺のサイトから引用すると,『虎嘯(こしょう)とは、「龍吟雲起、虎嘯風生」(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)と言う語句から名付けられております。この出典は『碧巌録九十九則』によるもので,「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す,すなわち禅の悟りの境涯を表しています。』とのことです。ちなみに「嘯く」は「うそぶく」と読み,動物がほえることを意味します。…う~ん,ますます難解ですか…。とりあえず,禅の悟りを開いた状態を表す庭ということですね。分かったような分からないような…。滝汗

 もう一つ気になっていたのが門前にあった「長州藩兵の刀傷」の看板です。これは本堂の柱に残っている傷のことなんですが,パンフレットによると,『柱に残る刀傷は,幕末の「禁門の変(蛤御門の変)」(1864)に際し天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が,試し切りをしたものである。』ということです。
 「禁門の変(蛤御門の変)」とは,幕末の長州藩の藩士が,孝明天皇をとりこんで尊王攘夷をはたそうとしておこした,京都御所の蛤御門付近の発砲事件で,後の幕府による第一次長州征伐につながるものです。蛤御門は京都御所の西側にある門で,今の近畿放送(KBS京都)の近くですかな。
 ついでに言うと,蛤御門の名称について面白い話がありますね。天明8年1月30日(1788年3月7日)に発生した天明の京都大火で京都御所が炎上したときに,めったに開かなかったこの門がこの時だけは開いたということで蛤(はまぐり)のような門,転じて蛤御門という俗称がついて,これが現在の正式名称となっています。う~ん,うまいことを言いますね…。にやり
 それで実際に本堂の柱を見ると,確かに刀で切り取ったかのような痕跡があります。う~ん,これは本当に当時の傷なんでしょうか…なんてことは怖くて聞けませんが,私は信じますよ。微笑

 その他にも,毘沙門堂の正面に掲げられている扁額が弘法大師の直筆とか,毘沙門堂の天井には日本画家藤原孚石が描いた四季草花48面の絵画があるとかの情報がありますが,あぁ私のメモリが足りなくなってきました…。滝汗

大津でびわ湖開き

昨日,びわ湖開きが大津港で行われました。この時期の恒例行事ですね~。

中日新聞(2008年3月9日)
笑顔咲き、春到来 大津でびわ湖開き

 「第53回びわ湖開き」の開かれた8日、会場となった大津市の大津港一帯では、約1200人の招待客がイベントを楽しみ、春の訪れを祝った。
 観光船「ミシガン」の一日船長を務めた女優の佐藤めぐみさん(23)が出港を告げる鐘を鳴らし、30隻の湖上パレードが出発。船上で佐藤さんは、甲板から“春の扉”を開ける「黄金の鍵」を水面(みなも)に投下した後、操舵(そうだ)室に入り、船のかじ取りを体験した。
 佐藤さんは琵琶湖を訪れるのは初めてといい、「海のように広くて驚いた。京都からも近く、家族を連れて、もっと湖を巡ってみたい」と船からの眺望を楽しんでいた。
 日が暮れると、市内の湖岸7カ所で、市民がヨシで作ったたいまつ計500本を一斉に点火。延べ3キロにわたって水面を照らした。たいまつを湖から眺める鑑賞船も運航され、乗客は赤々と燃えさかる炎を眺めていた。

 ミシガンの一日船長として,放送中のNHKの連続テレビ小説のヒロインをよぶ習わしのようですが,今回は主人公ではなくて共演者だったようですね。スケジュールの都合なんでしょうか,それとも関係者の好みなんでしょうか…。にやり
 しかしまぁ,観光船は年中運航されてますよね。びわ湖開きで一体何が開かれるのか…という疑問もありましたが,新聞記事では「春の訪れを祝い」とありますね。テレビでも「琵琶湖の本格的な観光シーズンの始まりを告げる」などと表現されています。とりあえず,「いい気候になりましたので皆さん観光に来てくださいね」というアピールができればいいということなんでしょうね。微笑

 琵琶湖の観光船には,今まで2度ほど乗ったことがありますけど,ずいぶん前のことなんであまり記憶がありません…。また乗りたいなぁと思っていたら,先日「船で巡る春の近江八景」という行事の参加者を大津市の広報で募集していました。先着で受け付けて申し込みはメールでも可ということでしたので速攻で申し込みましたが,「落選」との通知がきまして…。おかしいなぁ…。そんなに申し込みが殺到しましたか…。
 近江八景については,いずれまとめて記事にしたいとは考えていますけど,まぁそのうちまとまった時間があるときに…。滝汗