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警察のマスコット

 先日,日本自動車連盟(JAF)の会員向け月刊誌(JAFMate)をペラペラとめくっていたら,警察のマスコットの特集がありました。ふ~ん,各都道府県にそれぞれマスコットキャラクターが作られていたんですね…。そう言えば,この間はイベントのマスコットを取り上げましたので,ちょっと気になるものを紹介しますか…。

けいたくん まずは,とりあえず地元の滋賀県警察から。おぉ…何かいきなり完成度が高いような気がします。このマスコットは「けいたくん」。警察の「けい」と,狸の「た」・頼もしいの「た」から名づけられたそうです。もちろん滋賀県で有名な信楽焼の狸ですね。でも,特徴的な下半身は露出していないようです。それはまぁ警察ですからね…。警察のマスコットがわいせつ物陳列罪で捕まっては洒落になりません。さらに,飲酒運転の誘発を防ぐために,酒の徳利も取り上げられているようです。ひょっとしたら,後ろに隠した左手に徳利が…。にやり
 「けいたくん」の誕生日も設定されていて,平成10年4月17日だそうです。これは滋賀県警察のホームページの運用開始日のようですね。

キョッピー 次は,一応隣りの京都府警察。マスコットの名前は「キョッピー」で,京都府の鳥である「オオミズナギドリ」がモデルです。「キョッピー」の名前は,京都の「京」と,警察の「Police」,府民の「People」,平和の「Peace」の「P」をくっつけたということです。複雑なような単純なような…。まぁ「Police」の「P」以外は後付で考えたのかもしれませんが,「府民の平和を守る京都府警」ということで,よく考えてありますよね。
 京都府警察では『府民の皆さんとのふれあい活動などで出会ったときは,「キョッピー!」と声をかけてくださいね。』と呼びかけていますので,キョッピーの着ぐるみを見かけたら,ぜひ声をかけてあげてください。微笑

ふくまるくん 47都道府県の警察マスコットの中で,思わず「うまそう…」と思ってしまったのがコレ。どう見ても下関のふぐですね。このマスコットは山口県警察の「ふくまるくん」だそうです。山口県警察のサイトには説明が見当たらなかったんですが,JAFの特集ページには『県の魚でもあり,特産品としても有名なふぐをキャラクター化。』『ふくは「福」につながるものとして県民の幸福を願う意味も込めている。』とあります。
 そう言えば,下関では「ふぐ」ではなくて「ふく」と呼ぶという話はさんざん聞きましたけど,そう話している場面には出会ったことがありません。でもこれ,着ぐるみとかはどうしてるんでしょうかね…。足がないですけど。滝汗

ナポくん 今回の注目は何と言っても奈良県警察ですね。このマスコットは「ナポくん」です。そう,想像通り「ナラ・ポリス」を略して「ナポくん」です。それでもちろん,イメージはやっぱり奈良の鹿です。さらに「ナポくん」の角は,無線機の「アンテナ」とパトカーの「赤色灯」をイメージしているそうです。ちなみに誕生日は平成8年8月27日です。
 以前書いた記事「平城遷都1300年祭のマスコット」の中で,平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターが不評だということを取り上げました。しかし,平城遷都1300年記念事業協会が不評と言われても例のマスコットを取り下げないのは,どうしてもこの「ナポくん」のイメージに重なってしまうのを恐れているからではないでしょうかね…。他の候補作が「ナポくん」みたいな感じだったのかもしれませんよ。微笑
 まぁ,奈良と言えばどうしても「鹿」ですね。あとは「大仏」か…。他に奈良をイメージするものでしっくりするものがあれば,こんな苦労もしないで済んだんでしょうが…。うーん

シーサー君 番外編のような感じもしないではないですが,最後に沖縄県警察です。魔よけとして知られているシーサーをイメージした「シーサー君」です。これは,ひょっとしたら47都道府県で最強かもしれません…。う~ん,シーサーなんだから,そんなむりやり人間のような顔にしなくてもいいような気がしますけどね。平城遷都1300年祭のマスコットに反対している人たちの感覚ではこの「シーサー君」もアウトなんでしょうねぇ…。
 でもね,「シーサー君」の着ぐるみはまたイメージが違うんですよ。これは,「シーサー君」のイラストの反省があるのかもしれません。眉毛が気になるものの,それなりにマスコットらしい風情になっています…見方によっては…。気になる人は「沖縄県警 シーサー君」で検索を。笑顔

日本一長いテープカット

 「日本一の○○」というのはたくさんあるでしょうけれど,こういうのもあるんですね…。なかなか奥が深いようです。

読売新聞(2008年3月24日)
“日本一長い”テープカット 岩手町・大町商店街

 “日本一長いテープカット”が23日、岩手町の大町商店街で行われた。商店街の街路完成を祝うイベントで、長さ1140メートルのテープに、町内外から集まった1212人がはさみを入れた。

 同商店街の街路の拡幅工事が昨年12月に完成し、新たに歩道が整備されるなど、商店街通りが一新したことを祝おうと、商店街の若手有志でつくるグループ「大町ウェーブ」が中心となって企画した。同グループによると、「調べた範囲では過去のテープカットでは約1キロが最長」といい、“日本一長い”と宣言して話題集めを狙った。

 この日は、整備された426メートルの街路に楕円(だえん)形を描くように、紅白のテープを張り巡らした。テープの長さは当初1050メートルの予定だったが、予想を上回る参加者が集まり、急きょ1140メートルまで延長。参加者は、持参したはさみを手に、正午のサイレンが鳴ると、「カット」のかけ声をあげて一斉にはさみを入れた。

 大町ウェーブの藤沢暁宏副代表は「サイレンの音が聞こえないほどの盛り上がりだった。日本一のテープカットだったと思います」と満足そうに話していた。

 まぁ,しょうもないと言えばしょうもないのかもしれませんが,こういう一見意味のないように見えることを盛り上がりに変えてしまう人々のパワーはすごいですね。少なくともこのテープカットに参加した人々が,この企画を楽しみ,地元が一つになることの意義を再確認したのなら大成功なんでしょう。

 現在,アメリカの大統領選挙では,民主党の指名を受けるべく二人の候補者が激しく争っていますが,福井県の小浜市では「オバマ候補を勝手に応援する会」が発足して大いに盛り上がっていることが有名になりましたね。この応援については「政治を茶化す能天気な日本人」といったような批判もあるようですが,私はこういうのが結構好きだったりします…。微笑

 もちろん,政治色を帯びた活動ではないからこそ,これだけ全市的な盛り上がりになっているわけですが,そんな活動ができることに日本人の精神的な余裕を感じます…。オバマ氏がこの先民主党の指名を受けて,共和党のマケイン候補をも破って大統領になった場合に,日本に対する政策上の牽制となることを考慮しているとしたら,何と言うしたたかさかと思いますが,そんなことを考えての活動ではないでしょうね。まぁ「町おこし」に近いかと…。

 ただ,民主党のもう一人の候補者の名前と同じ自治体名があったとしたら,これほど盛り上がったかどうかという興味はありますけど,そんな変わった名前の自治体はないですしね。それでもクリントン氏のファーストネームに似た名前の旅館が「栗きんとん」を作ったという話題は耳にしました。う~ん,こういう掛け合い漫才みたいな展開がいいですね。でも甘いものは苦手なので,小浜市のある若狭名産の「へしこ」が食べたくなってきました。そう言う私は能天気ですか…。笑顔

【京都の寺社】二尊院

 今回の二尊院は,嵯峨野にある天台宗の寺院。前回の常寂光寺のすぐ北側にあって,同じ小倉山の中腹にあります。二尊院の名の由来は,本尊の「発遣(ほっけん)の釈迦」と「来迎(らいごう)の阿弥陀」の二尊だそうですが,ちょっと分かりにくいですかねぇ…。困惑
 二尊院の入り口にあたる総門ですが,前回の常寂光寺の土地を提供したとされる京都の豪商・角倉了以が伏見城の薬医門を移築したものということで,境内には角倉了以の墓があります。ふ~ん,彼は色々なところに関わっているんですね。境内にはさらに,三条実美や阪東妻三郎などの墓もあるとか…。え…あの映画俳優の「阪妻」ですか。田村正和氏のお父上と言った方が通りがいいでしょうか。微笑

 ということで,二尊院のパンフレットをめくってみます。今回のパンフレットはかなり丁寧な語り口で書かれています…。
『「百人一首」で名高い小倉山の東麓にあって,本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため,二尊院と呼びますが,正しくは「小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)」といい,明治以降天台宗に属しております。嵯峨天皇(在位809~823)の勅願により慈覚大師(円仁)が承和年間(834~847)に開山したといわれております。

 釈迦如来は,人が誕生し人生の旅路に出発するときに送り出してくださる「発遣の釈迦」といい,阿弥陀如来は,その人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎えくださいます。これを「来迎の阿弥陀」といいます。共に鎌倉時代の春日仏師作(重要文化財)と伝わっております。この思想は,唐の時代中国の善導大師が広め,やがて日本に伝わり法然上人に受け継がれたのです。その為に現在は法然上人二十五霊場十七番札所となっています。当時は,明治維新まで天皇の名代として勅使参詣があり,御所でのすべての仏事を司り公家方との交流も盛んでした。
 応仁の乱(1467~1477)によって諸堂が全焼しましたが,現本堂,唐門(勅使門)は約三十年後に再建されました。本堂「二尊院」の勅額(後奈良天皇),唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇)は,このとき下賜されたものです。』

 二尊院を開いた慈覚大師(円仁)は天台宗の開祖である最澄の弟子で,天台宗のトップである天台座主となった人物です。また,二尊院は,藤原定家の山荘・時雨亭があったところと伝えられているそうなんですが,前回の常寂光寺も同じように伝えられていたような…。はたしてどちらが正しいでしょうか。ひょっとしてどちらにもあったのか,はたまた同じ場所のことを言っているのか…。にやり

 まぁそんな歴史もありますけど,参拝するものとすれば,とりあえず総門から続く「紅葉の馬場」とよばれる参道の紅葉を楽しむのがいいですね。この参道は結構広くて長いので,なかなか見ごたえがありますよ。笑顔

進まぬ参議院での審議

 このところの参議院の審議について,東京新聞(中日新聞)にしてはめずらしい(?)正論がありましたので,その記事を…。

東京新聞(2008年3月21日)
記者発 審議しないための力?

 ガソリン税の暫定税率を維持するための租税特別措置法改正案が参院に送付されて三週間たつが、まだ審議入りしていない。
 各委員会は、通常国会で最初に開く委員会で担当閣僚の所信を聞く。同法案が付託される財政金融委員会の定例日は火、木曜日。与党は十八日に財金委など十一の委員会で担当閣僚の所信表明実施を求めた。しかし、民主党は同委を含む三委員会の開会を拒んだ。

 理由は「定刻」。参院の常任委員会は、午前十時か午後一時から審議を始めるのが先例。十八日は予算委員会の審議が入っており、財務相ら三委員会の担当閣僚は、開始時刻には委員会室入りできない状況だった。

 与党は、予算委の前後や昼休みなど、閣僚が予算委に縛られない時間に委員会を開催するよう求めたが、民主党は首を縦に振らなかった。
 週二回、午前十時か午後一時からしか審議をしないという主張が、国民にすんなりと理解されるだろうか。民主党の態度は、同改正案の年度内成立を阻止してガソリン値下げを実現するため、と受け取られても仕方がない。

 自民党幹部は「民主党は福田首相を追い詰めて解散させようと政局モードに入っている」と解説する。ただ、国会は法案を審議する場所だ。そして、参院審議の主導権を握るのは第一党の民主党だ。
 民主党は参院に同法改正案の対案を提出しているが、それを審議しようとする姿勢も見えない。民主党は「審議しない」ために、国民から与えられた議席の力を使っているのか。 (清水俊介)

 民主党は相変わらずですね。今回の参議院での予算関連法案の審議は,民主党にとってその存在感を示す大きなチャンスだと思っていたんですけど,租税特別措置法改正案の審議はまだですか…。昨年の参議院議員選挙では,民主党の政権担当能力への期待があったかと思いますが,その期待は見事に裏切られてしまったように見えます。
 そう言えば,国民投票法案では,民主党はその修正協議に積極的に取り組んでいたはずなんですが,民主党の意をくんだ法案が成立に向けて審議される段になって,審議拒否ということもありましたね。国民の期待を集めては裏切ることの繰り返しですか。

 最近とても気になるのが,鳩山幹事長がことあるごとに記者会見で「この結果の責任は全て自民党にある」という言い方をされることです。この言動は,北朝鮮や中国のスポークスマンがいつも発する言葉と重なって聞こえてきますね。
 民主党は参議院の第一党という立場をどう考えているのでしょうか。国民が見たいのは,何が何でも審議拒否する民主党ではなくて,問題解決に行動する民主党のはずなんですが…。とりあえず,政局のことしか頭にない執行部を丸ごと取り替えるのがいいですかね。

【京都の寺社】常寂光寺

 今回は,天龍寺から北へ少しばかり歩いたところにある日蓮宗の寺院・常寂光寺(じょうじゃっこうじ)です。この寺院は小倉山の中腹にあって,傾斜のきつい石段を登りきれば境内から嵯峨野を一望することができます。この小倉というのは,あの「小倉百人一首」の小倉ですね。この常寂光寺のある場所は,もともと小倉百人一首の撰者である鎌倉時代初期の歌人・藤原定家の山荘・時雨亭があったところと伝えられているそうで,「時雨亭址」というのもあります。

 で,常寂光寺の由来を…と思ってパンフレットをめくってみたんですが,これが文語体で非常に読みにくいですなぁ…。滝汗という訳で,口語体に直した上に括弧書きの説明も少し追加しました。
 『常寂光寺を開いたのは究竟院(くきょういん)日禎上人(にっしんしょうにん)。日禎上人は,権大納言・広橋国光の子として,永禄四年(1561)に出生し,幼い頃,日蓮宗の大本山・本圀寺(ほんこくじ)十五世日栖(にっせい)の門に入り,わずか18歳で同寺十六世となる。日禎上人は,宗学(各宗派の自宗の教義に関する研究・学問)と歌道(和歌の道)への造詣が深く,三好吉房(豊臣家の家臣で秀吉の姉婿),瑞龍院日秀(秀吉の実姉),小早川秀秋,加藤清正,小出秀政(秀吉の叔父),その他京都町衆(京都の裕福な商工業者)の帰依者が多かった。
 日禎上人は,文禄四年(1595),豊臣秀吉が建立した東山の方広寺大仏殿の千僧供養(千人の僧を招いて食事を供し法要を行うこと)の際,不受布施(日蓮宗以外の者から施しを受けず日蓮宗以外の僧侶に施しをしないこと)の宗制を守って千僧供養には欠席し,やがて本圀寺を出て,慶長元年(1596)に隠棲(世間から離れてひっそりと暮らすこと)の地として常寂光寺を開いた。』

 本圀寺というのは,京都・山科の天智天皇陵の近く,琵琶湖疏水の北側にある寺院ですね。そう言えば,以前はその周辺で何度か花見をやっていたことを思い出しました。歴史というのは割と身近にあるもので…。微笑
 あと,日禎上人が方広寺大仏殿の千僧供養に出席しなかったときの理由となった「不受布施(日蓮宗以外の者から施しを受けず日蓮宗以外の僧侶に施しをしないこと)」という教義が少し分かりにくいですね。方広寺は日蓮宗ではなくて天台宗の寺院だからダメだよぉ~ということなんでしょうが…。日蓮宗には,この教義を主張する「不受布施派」という一派が,現在でも存在するそうです。

 歌人としても有名であった日禎上人に小倉山麓の土地を提供したのは,角倉了以と角倉栄可です。また,堂塔伽藍(寺院の中の建物の総称)の整備には小早川秀秋などの助力を得たそうで。角倉了以は,高瀬川を開削した京都の豪商として有名で,京都の木屋町二条あたりにそんな記念碑がありました。その碑の前にある料理屋には何度か足を運びましたが,そこが角倉了以の屋敷跡なんだそうですね。土地の寄進に対して日禎上人は,角倉了以の大堰川開削事業へ人的な支援を行うことで応えているようです。

 代表的な堂塔伽藍について少しだけ…。
 仁王門…もともとは本圀寺客殿の藁葺きの南門で,貞和年間(南北朝時代)の建立。元和二年(1616)に現在地に移築。門の中の仁王像は福井県小浜の日蓮宗寺院・長源寺から移されたもので,運慶作と伝えられている(実際は不明)。
 本堂…二世・通明院(つうみょういん)日韶(にっしょう)上人が,慶長年間(1596~1615)に小早川秀秋の助力を得て,桃山城の客殿を移築し造営した。
 多宝塔…通明院日韶上人が元和六年(1620)に建立。辻堂兵衛尉直信という京都町衆が大檀那(多くの布施を寺に出す檀家,有力な檀家)として献上した。

 まぁ,なんやかんや言っても,結局は境内から見た嵯峨野の景色が一番印象に残っているんですけどね…。参拝したときに,この景色を眺めながら,長いことボーっとしていたことは確かです。笑顔

宮崎ってどこ?

読売新聞(2008年3月19日20時35分)
高校生の57%、宮崎県の場所わからず…地理学会調査

 日本の高校生の約57%が宮崎県の場所を地図で正しく示せないことが19日、日本地理学会の調査でわかった。
 大学生も約33%が間違えていた。同学会では「東国原知事の就任で話題になった宮崎県でさえ、場所がわからないのは、地理の学び方が表面的だから」と分析、小中高校を通じた地理教育の充実を求めている。

 調査は昨年12月から今年2月にかけて、東京都内の37校を含む51校の高校生6159人と31大学の学生3747人を対象に実施。秋田、栃木、東京、長野、愛知、石川、奈良、島根、愛媛、宮崎の10都県について、白地図から場所を選ばせた。
 その結果、高校生で最も正答率が低かったのは、宮崎の42・7%で、熊本と勘違いした生徒が多かった。愛媛(正答率49・6%)、島根(同51・5%)、奈良(同62・5%)なども正答率が低かった。
 大学生では、島根(同65・9%)の場所を間違えた学生が最も多かったが、宮崎(同67・3%)もワースト2だった。

 一方、世界の10か国についても同様の質問を行ったところ、ニュースによく登場するイラクの正答率は高校生が25・6%、大学生も50・2%にとどまり、アメリカも高校生は約16%、大学生は4%が間違えた。

 今回の調査結果について、宮崎県の東国原英夫知事は「宮崎や東国原を知ってはいるが、宮崎の場所がわからないというのは、学力、日本の教育の問題。私はいちいち地図を持って宮崎のPRはできない。この結果を踏まえ、折に触れて宮崎がどこにあるかを周知していきたい」と、苦笑しながら述べた。

 情けないような気がしますけど,まぁ,こんなもんなんでしょうね…。関東以外の生徒・学生の記憶の中では,栃木県と群馬県の位置なんかはとても怪しいものだと思いますしね。山陰地方や東北地方も怪しいか…。今回は調査対象ではないようですが,日本一広い湖がある県が入っていても正答率が低い気がします…。蒼ざめ
 私は結構地図を見るのが好きで,地図を眺めながら旅をしたような気分になったりします。時刻表も合わせてみるともっと効果的ですね。そういう経験って今の子どもたちにはないんでしょうかね。あちこち旅をして,その地方の特産品を楽しむことを想像するだけで楽しいことだし,自然と地理に親しむことにもなると思うんですがね。…なんて考えていたら,北陸へ温泉に行きたくなってきました。また,旅の計画でも立てたいと思います。いつかは。滝汗

「おおつ光ルくん」デビュー

京都新聞(2008年3月19日)
「おおつ光ルくん」デビュー 源氏物語千年紀in湖都大津

 「源氏物語千年紀in湖都大津」のマスコットキャラクター「おおつ光ルくん」の着ぐるみが、18日、開幕に合わせてデビューした。記念パレードで、地元の保育園児らと一緒に、石山寺(同市石山寺1丁目)の参道をパレードし「初仕事」をこなした。
 平安貴族をイメージした大きな頭と和みの笑顔の着ぐるみは沿道の注目を集め、山門前では、光源氏に扮した2006年準ミス・インターナショナル日本代表の和邇信子さん(26)と並んで、観光客に手を振った。
 当面は土、日、祝日を中心に同寺の「源氏夢回廊」会場に姿を見せ、来場者に愛きょうを振りまく予定という。

おおつ光ルくん ついに,おおつ光ルくんの着ぐるみが登場したようです。イラストのイメージとのギャップはさほどないようで,まずまずの出来といったところでしょうか。あとは,「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターですね。どんな着ぐるみが登場するのか,非常に楽しみになってきました。笑顔

黒豚と地鶏焼き鳥と

 前回の記事の「琵琶湖文化館」に行ったときに,その隣りのびわ湖ホール(滋賀県立芸術劇場)の真正面にある鹿児島の黒豚を売りにしているという店で昼食を食べました。この店は開店してから1年ぐらいになるようで,開店当時に私の自宅にチラシが入っていたこともあって,ずっと気になっていました。チラシの写真がいかにもうまそうで食欲を誘ったものですからね。あ,そう言えばチラシに付いていたサービス券を忘れたけど,まぁいいか…。

 で,さっそく座敷に座らせてもらってメニューを見ると,「ヱビスビール(生)」という文字が目に入りまして。おぉ…。これが噂に聞いていたヱビスの生ですか。このヱビスの生を売りにしているというビアホールの話を聞いたことがありますけど,ちょっと値が張るらしいですね…。でも,ここにもありますよ。笑顔何はともあれこの「ヱビスビール(生)」を注文。食べるものは黒豚カツ定食。要するにトンカツ定食です。
 ではヱビスをぐっと…。う~ん…。あれ?…。やっぱりヱビスは瓶か缶がいいかなぁ…。本来のコクと生ビールの爽やかさが合わさって微妙な味になっているような感じが…。どうも私には合わないような気がしますなぁ…。滝汗好きな人もいると思いますけどね。

 まぁそれは置いておいて,メインの黒豚カツ定食です。うん,これは結構柔らかいですね。適度な脂身が全体のバランスを整えているといった感じですね。久々においしいトンカツを食べたような気がします。メニューはしゃぶしゃぶなど他にも色々とあるようで,晩のメニューにも惹かれるものがありますねぇ…。また機会があればいいですけど。微笑

 さて,この日の晩はどうしようかと思っていたんですけど,湖岸道路の近江大橋からちょっと浜大津寄りに行ったところにある「おもひで酒場」という看板のかかった店に寄ってみることになりました。店の前に懐かしい看板がペタペタと貼ってあったんで,この付近を車で通りながらいつも気になっていたんですねぇ…。

 という訳で何とか店の前に着いてみると,それまで気づかなかったんですが,大阪を拠点とする大手焼き鳥屋チェーンの関連であることが判明しまして,ちょっと迷ったりして…。滝汗でもまぁ,こういう体裁の店も珍しいだろうということで入ってみましたが,これが思いのほか雰囲気がよかったです。店内のいたるところが懐かしいポスター,レコードジャケット,フィギュアなどに埋め尽くされていまして,店内にかかる音楽も70年代からの懐かしいメロディー。微笑

 大手焼き鳥屋チェーンの関連とは言え,独自のメニューにも力を入れているようで,この日は滋賀県産の地鶏メニューで腹を大いに満たしました。また,このときの常連さんの雰囲気も店主の感じもよかったですね。すっかりと色々な懐かしいものを思い出させてもらいましたぁ…。笑顔しかし,このときの店内の懐かしい音楽の中で,古いものはあれこれ話ができたんですが,新しめの音楽が全くわからなくてショックでして…。信じられないことなんですが,ひょっとして,すっかりおっさんの範疇なんでしょうか…。滝汗
(※「おいしかったニャン」の写真は最初の店にあった額です。)

琵琶湖文化館の休館

 昨日はとても天気がよくてポカポカと暖かく気持ちがいい日でしたね…。花粉症の人にはつらい天気なんでしょうが…。こんな気候に誘われて,この3月いっぱいで休館となる滋賀県立琵琶湖文化館(大津市打出浜)に行ってきました。
 この琵琶湖文化館は城の天守を模した独特の建物で,存在そのもののはずっと以前から認識していましたが,れっきとした歴史博物館であることを長い間知らずにいました…。なんか変わった建物があるけど,なんだろうなぁ…ぐらいの認識で…。滝汗今回,休館の知らせを聞いて,一度は行っておかねばという思いだけでふらっと訪ねたという訳です。

 琵琶湖文化館に入館する前に横を歩くと,何かの碑がありますね。これは戦国の世,織田信長を討った明智光秀が山崎の合戦で敗れたことを知った明智左馬之助(明智光秀の娘婿)が,坂本城を目指すために,敵方に囲まれたこの碑の付近から馬にまたがったままで琵琶湖を渡ったとされる「明智左馬之助湖水渡り」の碑なんだそうです。碑の横にある説明を「へぇ~」と読みながら,いざ琵琶湖文化館へ。
 で,琵琶湖文化館の写真を撮ろうと思って建物を見上げると,てっぺんにトンボがあるのに気づきました。ん?なんで博物館にトンボなのかな…。そう言えば,館内にある説明書きなどにも度々イラスト化されたトンボが登場して,何かのシンボルのように扱われています。という訳でちょっと調べたら,京都新聞に次のようなコラムが掲載されていたようです。一応参考までに。

京都新聞(2008年02月19日)
凡語 トンボと琵琶湖文化館

 あきつ、はトンボの古名である。おそらく黄金色の稲穂が揺れ、トンボが群舞する列島のイメージから来たのだろう、古代の日本はあきつ島と呼ばれた▼そのあきつ島のほぼ真ん中に滋賀県があることにちなみ、大津市の県立琵琶湖文化館の屋根の上には大きなトンボが設置されている。一九六一年の建設時に、館のシンボルとして作られた▼県民の間では、ヤンマーの創業者で滋賀出身の山岡孫吉が同館建設の際の大口寄付者だったことから、社名のルーツのオニヤンマにちなんで設置された、との説も流布するが、こちらはどうも俗説らしい▼トンボの形はオニヤンマではなくアキアカネであり、いくら大口でも民間の一寄付者を特別扱いするのは公立施設として不自然だからだ。とはいえ、こういう伝説が生まれるのも、県民の多額の寄付で誕生した歴史があればこそだろう▼その琵琶湖文化館が県の財政難を受け三月末で休館になる見通しだ。休館前の最後の特別公開「近江の美術」では、国宝や重文などを並べ、半世紀近い収集の成果を学芸員たちが渾身(こんしん)の思いをこめて披露している▼トンボは実りの季節の象徴である。仏教美術を中心とする五千余点の館蔵品はまさに湖国文化の実りの精華だ。この宝を死蔵させず、何とか生かし続けてほしい。でなければ、嘉田知事のもったいない精神が泣く、トンボも泣く。

 この日の琵琶湖文化館では,休館前の特別公開「近江の美術」シリーズの最終展示である「仏教美術の精華」という展示が行われていました。私は,こういう仏像や仏画には全然詳しくないですけど,その丁寧なつくりや表情には思わず引き込まれますね。こういった貴重な文化財が多数収蔵された博物館が,滋賀県の財政状況のあおりを受けて休館するのは,大変残念ではありますね…。何といっても,日本の中で滋賀県は文化財の宝庫と言える存在でしょうから。

【京都の寺社】野宮神社

 前回は嵐山から東へたどった車折神社でした。今回の野宮(ののみや)神社は,嵐山の天龍寺から北へ向かい,あの有名な嵯峨野の竹林の小道に行こうとすると,ふと脇に見つけることのできる小さな神社です。
 小さな神社ですけど,結構参拝客が多いですねぇ…。効能…じゃなくて,ご利益はと言えば,鎮火勝運,芸能上達,子宝安産,商売繁盛,交通安全,財運向上,良縁結婚…。この中でも,縁結びと子宝安産がこの神社のポイントのようです。さらにこの神社は源氏物語にも登場し,能の題材にもなっているとか。こういう訳で多くの参拝客を呼んでいるんでしょうね。
 私が参拝したときには全然気に留めなかったんですが,野宮神社の入り口にある黒木鳥居は,クヌギの木を樹皮がついたまま使用している日本最古の様式ということです。古い歴史を持つ神社の顔ですか。微笑

 さっそく,野宮神社のサイトから由来を紐解いてみますと…。
 『野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
 そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。』

 なるほど,伊勢神宮に派遣されることになった天皇の名代である斎王(斎宮)が身を清めたところを,もともと「野宮」とよんでいたようですね。これが野宮神社の名前の由来ですか…。それで,天皇が代わるたびに場所が変わっていた「野宮」が,平安時代のはじめに現在の場所に定着して「野宮神社」となったと…。野宮神社は伊勢神宮と皇室にとても深いゆかりのある神社ということなんですね。
 で,現在の野宮神社の御祭神は野宮大神(天照皇大神)だそうです。他にも愛宕大神,白峰弁財天,白福稲荷大明神,大山弁財天,野宮大黒天がまつられていて,多くのご利益をもたらしているそうで…。笑顔

 観光ガイドなんかを読むと,野宮神社の境内にある苔むした庭園が必ず登場するようです。「野宮じゅうたん苔」というそうで,境内にも案内板がありました。一般的には,ご利益どうのこうのというよりは,こちらの方が有名なんでしょうか…。確かに寺院では苔の庭園をよく見かけますけど,神社で苔の庭園というのはあまり聞いたことがないような気がします。名前の通りふかふかしたような苔ですね。微笑