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長野の聖火リレー

 26日の土曜日に長野で聖火リレーが行われましたね。これまでの各国での聖火リレーを踏まえて,長野ではどういった事態になるのかという世界的な注目がありましたけど,聖火リレー自体への過激な行動は目立ったものとはなっていなかったような印象です。

 警察庁長官は本日「長野県警がほぼ満点の警備をしてくれた。」との評価を示しましたが,聖火リレーを目の当たりにした人々からは,中国人留学生の傍若無人な振る舞いとそれに対する警察の対応について,厳しい意見も多数あがっているようですね。数千人規模で真っ赤な旗を振って声を張り上げる人々より,日本人をなだめる方が警備の効率がいいという事情もあって,当の警察官としても歯がゆい思いはあったのではないかと想像するのですがね…。ただ,明らかな道路交通法違反の者もいましたので,そこは毅然と検挙していただきたかったなぁとは思います。

 国境なき記者団も,聖火の採火式でも登場した,手錠で表した五輪の旗を掲げるなどのアピールを行いました。同記者団のメナール事務局長は,抗議行動を容認した日本政府の民主的な対応を称賛したと報道されています。聖火リレーに集まった中国人留学生に対してメナール事務局長は「中国の若者はこの日の経験から民主主義の何たるかを知ってもらいたい」とメッセージを発したそうですが,現状では非常に厳しいように思えます。

 聖火リレーが各地で行われるのは,オリンピックの精神を各地で共有し合うことにあろうかと思います。長野で聖火リレーが行われるのなら,まず第一に長野市民,そして日本国民がそのリレーに声援を送ることが,その意義を全うすることにつながるはずですが,日本国民の居場所は真っ赤な旗を持った中国人によって奪われていました。五星紅旗を持った人々は聖火を守ることを口にしていますが,彼らが守ろうとしているのは中国の薄っぺらな面子でしかありません。なぜ,このような事態になっているのかは全く理解できていないでしょう。

 聖火リレーを埋め尽くした五星紅旗と,チベット国旗を持った人々を取り囲んで発した中国人の言葉を見聞きして思い出したのは「文化大革命」。政権を転覆しかねない人々を反革命分子として徹底的に罵倒・弾圧する紅衛兵の姿です。市場経済によって大きく発展を続けているという中国ですが,中国共産党の一党独裁の政治体制は,彼ら自身の精神を何度でも同じ場所に引きずり込むことになるのでしょうね。

新緑の頃

 去年の秋,延暦寺で開かれていたもみじ祭りの記事を書きました。そのときの福引で当たったもみじの苗木を庭に植えましたが,どうやらまだ生きていたようで,若葉が出てきました。若葉と言っても,葉の縁が赤くなっています。これはなんという品種なんでしょうね。去年の福引のときに聞くのを忘れていましたが,聞いたとしても「う~ん,何でしょうかね~」と言われていたような気がします。

 ということで,ネットでもみじのことを調べてみると,実にさまざまな品種があるんですねぇ…。若葉のときに葉が赤いものも結構あります。夏に一旦緑色になって秋に紅葉するものや,一年中赤かったりするものもあるようです。へぇ,こんなに色々な種類があるとは知らなかった…。調べているうちに,おそらくこの品種だというものがありましたけど,自信がないので,しばらく観察することにしましょう。似たようなのが多いんですよ。

 若葉と言えば,気持ちのいい季節になりましたね。少し前には,花見もありましたけど,たらの芽の天ぷらなどもいただきまして,季節感が楽しめる幸せを感じたりしてました。桜も散ってこれから新緑の季節ですが,春から初夏の時期は結構好きですね。新緑の時期は,天気が良くても爽やかでいいですけど,雨にぬれる新緑もなかなか風情があります。忘れかけていましたが,4月と言えば,ホタルイカでしょうか。でも,もうそろそろ時期が外れてしまいますかね。

広がるJ-POP

 最近のJ-POPは,海外からも注目されつつあるとか…。

日経トレンディネット(2008年04月18日)
マーティ・フリードマンが語る“欧米人がJ-POPに興味を持つ理由”

 これまで、日本語でJ-POPを歌う海外アーティストといえば、BoA、東方神起、Kといった韓国勢など、アジアの歌手がほとんどだった。しかし、最近では映画『西遊記』の主題歌『around the world』やCM曲『空はまるで』などがヒットした、カナダ人兄弟がボーカルを務めるmonkey majik、J-POPが好きで日本に興味を持ち、昨年末はNHKの『紅白歌合戦』にも出場した“グラビア界の黒船”リア・ディゾン、一聴しただけでは日本人の歌にしか聴こえない黒人演歌歌手のジェロなど、欧米からも日本語でJ-POPを歌うアーティストが相次いで登場している。今や、ビジュアル系バンドが世界各地でライブを行うなど、アニメやマンガに次いで、海外からのJ-POPへの関心は高まっている。

 この状況を予言していたかのように、何年も前から「J-POPは世界が注目するカルチャーになる」と言っていたのが、マーティ・フリードマンだ。90年代、世界的なヘビーメタルバンド「メガデス」のギタリストとして大活躍した彼は、ツアーで訪れた日本とそこで耳にしたJ-POPに興味を持つ。そして、その魅惑的な音楽の世界に飛び込もうと、バンドを脱退、5年前に日本に移住してきた。日本に来てからは、「邦楽」の仕事に積極的に参加、相川七瀬や鈴木亜美らのツアーメンバーとして活動したり、最近では北出菜奈や玉置成実らのプロデュースや楽曲提供を行っている。

 そんなマーティが、初めての著作『い~じゃん!J-POP だから僕は日本にやって来た』を上梓した。日本とJ-POPに興味を持ったきっかけを明かす半生記、本当に好きな曲を紹介する極私的TOP40、さらに最新ヒット100曲以上のサウンド解説からなるこの本には、彼のJ-POPに対する愛情と、独自色が高く豊かなJ-POPの音楽性の秘密がたっぷりとつづられている。

い~じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た- マーティ・フリードマン マーティ・フリードマンという人自体は,私はあまりよく知らないのですが,テレビではよく見かけますね。ペラペラな日本語は,日本の歌への尋常ではない興味によって習得したとの話も聞きました。まさに,好きこそ物の上手なれ…ですか。

 だいぶ前のことですけど,テレビのある番組で,彼が「石川さゆりの天城越えには,ヘビメタのツインギターが入っているんですよ~」ということを語っていまして,「そう言えばそうやな…」と。日本人には当然のように思われても,外国の人に指摘されて初めて気づくこともあるんですね。演歌とヘビメタって,何と言う組み合わせなんだと。日本人の外来のものをうまく取り入れて発展させるという才能は,歌にも発揮されていたということです。ただ,最近流行のラップ調の歌は,もう少しうまくできないかなぁと思うものが多い気がしますね。…

 リンク先の日経トレンディネットの記事には,マーティ・フリードマン氏が推薦する女性ボーカルTOP10が掲載されていますけど,う~ん,私は半分ぐらいしか名前が分からない…。上の記事冒頭の歌手など全然分かりません…。どうやら,私の中の音楽シーンは,90年代半ばぐらいで止まったままのようです。滝汗あ,でも黒人演歌歌手のジェロの歌は聴いたことがありますよ。ヒップホップ系の衣装でコテコテの演歌は衝撃でしたね。微笑

【京都の寺社】祗王寺

 祗王寺は,前回の滝口寺のすぐ近くにあります。滝口寺とともに,もとは往生院であったところですが,ここも平家物語ゆかりの地ということで,平清盛と祗王の物語が伝えられています。秋には,苔で覆われた庭園と紅葉のコントラストが美しいですね。
 祗王寺の由来と平清盛・祇王の物語は,祗王寺のパンフレットから…。

==以下引用==
 祗王寺(尼寺) 現在の祗王寺は,昔の往生院の境内である。往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創められたと伝えられ,山上山下に亘って広い地域を占めていたが,いつの間にか荒廃して,ささやかな尼寺として残り,後に祗王寺と呼ばれる様になった。

 祇王寺墓地入口にある碑には「妓王妓女仏刀自の旧跡明和八年辛卯正六百年忌、往生院現住、法専建之」とあって,此の碑の右側に「性如禅尼承安二年(1172)壬辰八月十五日寂」と刻んであるのは,祗王の事らしい。

 安永の祗王寺は明治初年になって廃寺となり,残った墓と木像は,旧地頭大覚寺によって保管された。大覚寺門跡楠玉諦師は,これを惜しみ,再建を計画していた時に,明治二十八年,元の京都府知事北垣国道氏が,祗王の話を聞き,嵯峨にある別荘の一棟を寄附され,此が現在の祗王寺の建物である。これ等の関係で,祗王寺は大覚寺の塔頭で真言宗である。

 平家物語の巻頭に,「祗園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり。沙羅雙樹の花の色,盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず,唯春の夜の夢の如し。……」と美しく書き出してあるが,更に読み進むと祗王祗女の事が出て来る。これは,平氏全盛の頃,平清盛と二人の女性の哀れな物語である。

 その頃,都に聞こえた白拍子(歌舞を舞う遊女)の上手に祗王,祗女と言う姉妹があった。近江の国野洲江辺庄の生れ。父九郎時定は,江辺庄の庄司であったが罪があって,北陸に流されたので,母と共に京都に出て,白拍子となり,のち姉の祗王が清盛の寵を得て,妹祗女も有名となり,毎月百石百貫の手当もあり,安穏に暮していた。

 或時清盛が祗王に,何か欲しいものがあるかと尋ねると,祗王は,自分の生国は水の便が悪く,毎年旱害を受け,一庄三村は飢餓に苦しんでいるから,願わくば,水利を得させて戴きたいと願った。清盛は早速,野洲川から三里の溝を掘らせ,水を通した。里人はこれを徳とし溝を名づけて,祗王井川と呼び,今に至っている。

 所がここに加賀の国の者で,仏御前と呼ばれる白拍子の上手が現われて清盛の西八条の館に行き,舞をお目にかけたいと申し出た。清盛は,「神とも言え,仏とも言え,祗王があらんずる所へは叶うまじきぞ,とうとうまかり出でよ」と門前払いをしたが,祗王がやさしく取りなしたので,呼び入れて,今様を歌わせることにした。仏御前は,「君を初めて見る折は 千代も歴ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に 鶴こそ群れいて遊ぶめれ」と繰り返し三べん歌ったが,声も節も頗る上手だったから,清盛は,たちまち心を動かして仏御前に心を移した。

 昨日までの寵愛は何処へやら,祗王は館を追い出されることになった。せめてもの忘形見にと,「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋にあわではつべき」と障子に書き残して去って行く。

 あくる春になって清盛は仏(御前)が退屈しているから,舞を舞って仏をなぐさめよと使者をよこすと,祗王はもとより行く気は無かったが,清盛の権勢と母の哀願に抗しかね,館に行って,「仏もむかしは凡夫なり われらも遂には仏なり いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ」と歌い舞った。並居る諸臣も,涙を絞ったと言う。

 祗王は,「かくて都にあるならば,又うき目を見むづらん,今は都を外に出でん」とて,祗王二十一,祗女十九,母刀自四十五の三人,髪を剃って尼となり,嵯峨の山里,今の祗王寺の地に世を捨て,仏門に入る。母子三人念仏している所へ竹の編戸を,ほとほとたたく者がある。出て見ると,思いもかけぬ仏御前であった。

 祗王の不幸を思うにつれ,「いずれか秋にあわで果つべき」と書き残された歌を誦するにつけて,無常を感じ,今朝,館をまぎれ出でて,かくなりてこそ参りたれと被っていた衣を打ちのけるを見れば,剃髪した尼の姿であった。わずかに十七にこそなる人の,浄土を願わんと深く思い入り給うこそ,と四人一緒に籠って朝夕の仏前に香華を供えて,みな往生の本懐を遂げた。
==引用終わり==

 祗王は今の滋賀県野洲市の出身だったんですね。祗王が平清盛につくらせた祗王井川は現在でも流れを保っており,野洲市立祗王小学校の校歌にも歌われています。祗王寺には,祗王,祗女,母刀自の墓がありますが,一方野洲には,祗王,祗女,刀自,仏御前の菩提を弔うために建てられたという妓王寺があります。そんなことも知らずに,遊びに行くときに野洲周辺は結構うろうろしてましたけどね…。

【京都の寺社】滝口寺

 滝口寺は,嵯峨野の常寂光寺や二尊院から少し北へ歩いたところにある小さな寺ですが,平家物語に登場する,滝口入道と横笛の悲恋の寺として知られています。
 滝口入道は,平清盛の嫡男である平重盛に仕えていた武士・斉藤時頼が出家した後の名前です。そして横笛は,平清盛の娘で重盛の妹の建礼門院に仕えていた雑仕女(ぞうしめ・雑役に従事した下級の女官)であったということです。

 この「滝口」というのは,宮中の警備を担当した武士を指しています。平安京では天皇の日常の居所を清涼殿と言いますが,その東北の御溝水(みかわみず・宮中の庭を流れる溝の水)が落ちるところに警備のための詰所があったことから,この武士を「滝口」と呼んでいたそうです。
 ここまでの前提知識をもとに,滝口入道と横笛の悲恋について,滝口寺のパンフレット「滝口と横笛の旧蹟・滝口寺」を読んでみます。

==以下引用==
 滝口入道と横笛の悲恋の寺,滝口寺は,もと往生院三宝寺といった。念仏房(法然の弟子)によって創建された「往生院」は,念仏の道場として栄えその境内も山上から広い地域に渡って数々の坊があったと伝えられる。その後,応仁の乱等の数々の戦乱により変遷を経て,後,祗王寺と三宝寺とが浄土宗の寺として残った。

 明治維新,廃寺となり,祗王寺の再建に続いて当寺も再建され,故佐佐木信綱博士が,小説「滝口入道」にちなんで「滝口寺」と命名された。「平家物語」維盛高野の巻で,滝口入道と横笛の悲恋物語が挿入されている。滝口入道はもと重盛の侍でその名を斉藤滝口時頼。

 清盛の西八条殿での花見の宴に於いて建礼門院つきの女官の横笛の舞姿を見て,恋しく思うようになり,恋文を送るようになった。すると,時頼の父がこの事を聞いて「おまえは名門の出にして,将来は平家一門に入る身上でありながら,なぜあんな横笛ごときを思いそめるのか」ときびしく叱ったため,時頼は,主君(小松内大臣重盛)の信頼に背いて恋に迷う己を自責したが,「これこそ仏道に入らしめる尊い手引きである」として嵯峨の往生院で出家してしまう。

 横笛は,都で滝口入道が出家したということを伝え聞いて恨めしく思い,自分の心を打ち明けたいと,都を出てあちらこちらと尋ねて嵯峨の往生院へやって来た時は,もう日も暮れた夕闇の中だった。住み荒したる僧坊に念誦の声がしたので,滝口入道の声と聞きすまして真の心をうちあけたく,女子の身でやってきたことを言った。滝口入道は,胸がどきどきして,驚き呆れたあまり,襖の隙間から覗いて横笛みると,裾は露でぬれ,袖は涙でぬれ,痩せこけた顔つきは,本当に尋ねかねた様子に如何なる大道心者も心弱うなるに違いない。ところが,滝口入道は,同宿の僧を遣わして「全くここにはそのような人は居りません。お門違いではないでしょうか」と言わせた。

 横笛泣く泣く帰るわけだが,真の心を伝えたく,近くにあった石に歌を書いて帰った。 山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我を導け
 滝口入道は未練が残ったまま別れた女性に住いを見つけられたからには修行の妨げと思い高野山に移った。横笛もその後すぐ法華寺で尼になったと聞いたので滝口入道は一首の歌を横笛に送った。

 そるまでは恨みしかとも梓弓
  まことの道に入るぞ嬉しき

横笛返して

 そるとても何か恨みむ梓弓
  引きとどむべき心ならねば

 横笛はまもなく法華寺で死んだ。滝口入道はこの事を伝え聞いてますます仏道修行をして高野の聖といわれる高僧になったという。
==引用終わり==

 横笛は,出家したという話とは別に,滝口入道に会えなかったあとに桂川に身を投げたとも言われているそうです。滝口寺の境内には,平家一門の供養塔や,平重盛を祀った「小松堂」のほか,足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒しながらも,のちに尊氏との戦いに敗れた武将・新田義貞の首塚があります。新田義貞の首は,京都の三条河原で晒されていたものを妻の勾当内侍(こうとうのないし)が盗み出して嵯峨野に埋葬したとも言われ,首塚の近くには勾当内侍の供養塔もあります。

「靖国」削除要請を拒否

 映画「靖国 YASUKUNI」ですが,いつの間にか動きがあったようです。

産経新聞(2008.4.21 20:49)
映画「靖国」、削除要請を拒否し5月3日から公開へ

 映画「靖国 YASUKUNI」の李(リ)纓(イン)監督らに対し、靖国神社が映像の削除・訂正を求めている問題で、配給会社のアルゴ・ピクチャーズは21日、「内容を変更せずに、(神社側と)和解する方向を探りたい」として、作品に手を加えずそのままの形で上映する方針を固めた。神社側が期日としている26日までに正式回答する。

 アルゴ・ピクチャーズは、削除しない理由として「神社側から言われただけで、裁判所から法的に削除しろといわれたわけではない」としている。
 映画館には試写会で使用したフィルムと同じものを、遅くとも5月1日前後から発送する。
 これに対し、靖国神社広報課は「正式な回答をもらっていないので、現段階ではコメントできない」としている。

 また、この日は上映を決めている23館のうち、8館の公開日程が決定。5月3日に東京の渋谷シネ・アミューズで公開されるのをトップに順次、大阪や京都などの映画館でも公開。そのほかの映画館についても、日程を調整している。

 う~ん,靖国神社に回答する前に,公開を発表することを決定してしまっていいんでしょうかね。ますます不信感が募るような気がするんですけど…。映画に映像を使われている高知の刀匠との折り合いはついたのでしょうか。この映画への批判は,単にイデオロギーとか右翼の問題からであると考えているとすれば,何と自己中心的な…という印象が拭いきれませんねぇ。

 ここに来て,配給会社は無理やり急いで走っているように思われますけど,裁判所云々の物言いは法廷闘争を覚悟してのことなんでしょうか。問題ははっきりとしているわけですから,それらを解決してから公開しないと,せっかくの主張が台無しになるように感じますけど…余計な心配でしょうかね。

善光寺がついに辞退

 長野での聖火リレーの出発地点となっていた善光寺ですが,その動向が注目される中,18日に正式な辞退を表明しました。

産経新聞(2008.4.18 13:32)
長野聖火リレースタート地点変更 辞退の善光寺「仏教者の弾圧を憂慮」

 長野市で行われる北京五輪の聖火リレーで、善光寺がスタート地点の辞退を申し入れた問題で、同市聖火リレー実行委員会は18日、申し入れを受け、スタート地点を同寺の境内から変更する方針を決めた。リレー計画の変更を迫られる事態となった実行委は、ルートの再検討を始めた。境内ではなく、参道をスタート地点にすることなども検討されているという。

 同日、善光寺から正式に辞退の申し入れを受けた実行委の篠原邦彦事務局長は「大変衝撃を受けている。善光寺の総意として決定を尊重する。コースを変更せざるを得ない」と述べた。善光寺の若麻績信昭(わかおみしんしょう)寺務総長は、理由について「文化財や信者の安全の問題と、チベット問題を考慮した」と説明した。
 関係者によると、善光寺内部では、チベット暴動で僧侶が弾圧されていることを理由に、同じ仏教者として境内を提供することに反対する意見や、抗議を懸念する声が出ていた。
 こうした事情などから、17日に幹部らが会議を開いて対応を協議した結果、スタート地点返上の方針を確認。18日になって、市実行委側に意向を伝えた。
 これまでの計画では、善光寺の本堂と三門の間のスペースに特設会場を設け、26日午前8時から点火式などの出発行事を実施。その後、長野五輪の競技会場などをめぐる18.5キロのルートを予定していた。
 聖火リレーをスタートする最初のランナーには、北京五輪野球日本代表監督の星野仙一さんら著名人が予想されている。

■「チベットで無差別な殺人」

 「チベットで無差別な殺人が行われた。チベットの仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」。北京五輪の聖火リレー出発地辞退を長野市に伝えた善光寺の若麻績信昭寺務総長は18日、市役所で会見し、チベット暴動をめぐる仏教者への弾圧が大きな理由であることを明らかにした。
 会見には法衣姿の僧侶4人が並んだ。善光寺には、聖火リレーについて1日100件を超える電話があり、境内を出発式に使用することに抗議する内容の電話も多かったという。
 一方、ルートの変更を余儀なくされた市実行委員会の篠原邦彦事務局長は「すぐに上司に報告する」と青ざめていた。

 長野市聖火リレー実行委員会の事務局長は「大変衝撃を受けている。」というように述べていますが,こういう事態は充分予想していたことでしょう。善光寺が辞退する前から,善光寺を含まないコース案がすでに実行委員会内で作成されていたと思いますけどね…。

 善光寺といっても大きな組織ですから,正式な辞退を決定するということで意見をまとめるには紆余曲折があったと想像できます。決定までに時間がかかったとは言え,仏教寺院としての善光寺の名が貶められる状況を未然に防いだことは高く評価できますね。チベットの弾圧が今回の辞退の大きな理由であると明言もしていますし。

 ところで,17日の記者会見で,町村官房長官が「わが国は極めてきちんとした法治国家で、他国の力を借りなければならない治安状況にはない」と述べて,中国の「聖火防衛隊」を受け入れない考えを示しましたけど,18日朝のNHKニュースでは「長野県警が聖火防衛隊を受け入れることを決定した。」と伝えていました。
 これはNHKの先走り報道なんでしょうか。NHKのような内容の報道は,他に見当たらないんですけど…。政府と警察でちゃんと意思が統一されているのか,少し心配になりますが,主権国家の日本では,主権侵害の「聖火防衛隊」はお断りです。

神戸にも「セントくん」が…

 表記はカタカナのようですが,平城遷都1300年祭のマスコット「せんとくん」と同じ名前のマスコットキャラクターが存在するようで…。

産経新聞(2008.4.17 14:08)
平城遷都祭 「せんとくん」に同名の“先輩”が…

 愛称が決まったばかりの奈良県の平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター「せんとくん」と同名のキャラクターが、神戸市のイベントで既に活躍していたことが17日、分かった。

 神戸市兵庫区の平野地区で続いているイベント「福原遷都まつり」の「セントくん」。奈良県などでつくる1300年祭の事業協会は「同名キャラの存在は知っていたが、商標登録をしておらず、大丈夫だと思った」としている。

 「セントくん」は、平清盛が福原京に遷都したことにちなみ、武将姿。「遷都まつり」は平野地区の住民が阪神大震災の復興イベントとして平成17年から始め、毎年開催している。

 奈良のせんとくんは「かわいくない」との批判もあるが、遷都まつりの実行委員会事務局は「奈良と平安で時代が違うし、仲良くできるのではないか。こちらのセントくんの方がかわいいけど…」と話している。

 セントくんと一緒にいる平安時代の衣装の女性は「フクちゃん」と言うそうです。武将の姿にも関わらずカタカナのセントくんなんですね。関西で福原と言えば,歓楽街を想像する方が多いと思いますけど,そう言えば,福原にも平安時代の末期に半年ほど都が置かれたことがあったんですよね。この遷都は平清盛の主導で行われていますので,武将姿のセントくんのモデルは平清盛ということなんでしょうか。
 この新聞記事では,福原遷都まつりの実行委員会事務局の人は余裕のコメントですねーという感じで紹介されています。毎日新聞では福原遷都まつりの実行委員会事務局長のコメントが載っているんですが,ちょっと様子が違うようですよ。

毎日新聞(2008年4月16日 20時40分)
せんとくん:同じ愛称名が神戸に 苦難続く…平城遷都事業

 実行委事務局長の玉川侑香さん(60)は「奈良の名前を知ってびっくりした。商標登録が必要だった。もう少し可愛ければ、仲良くしやすいのだけど……」と困惑気味。奈良県などでつくる平城遷都1300年記念事業協会は「商標を調査し、福原のキャラクターも把握していたが、1回限りの催しと認識していた。法的な問題はないが、福原側から苦情などがあれば対応を考えたい」としている。

 あんなかわいくないマスコットとは仲良くなりたくない…ということでしょうか。とりあえず,福原遷都まつりのマスコットの名前が商標登録されていたらここで話題になることはなかったんでしょう。今回,平城遷都1300年祭のマスコットが「せんとくん」と命名されたことによって,福原遷都まつりが注目を浴びる結果になったというわけで,前向きにも考えられると思いますけどね。私も全然知りませんでしたし…。そっとして欲しかったなら別ですが。

 という訳で,近い将来,平城遷都1300年祭事業協会の「せんとくん」,福原遷都まつり実行委員会の「セントくん」,「クリエイターズ会議・大和」が募集する新しい平城遷都のマスコットでコラボレーションが実現するかもしれません。これで,関西の景気も盛り上げていただければいいかな…と。

愛称は「せんとくん」

 平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターの愛称が決まったそうです。

産経新聞(2008.4.15 16:53)
あの平城遷都1300年祭マスコット、愛称は「せんとくん」

 デザインなどをめぐって不評の声も噴出した「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターについて、奈良県などでつくる事業協会は15日、愛称を「せんとくん」に決定したと発表した。

 愛称の公募には1万4539件が寄せられ、漢字やカタカナなども含め「せんと」(遷都)が337件でもっとも多かったという。事業協会は、キャラクターをデザインした東京芸術大の籔内佐斗司教授ら5人の愛称選定委員会を設置し、選考を進めていた。

 同祭は平成22(2010)年に奈良市の平城宮跡を主会場に開かれる。

 おぉ…。思いのほか,良い愛称だと思います…。英語の「SAINT(セイント)」もかけているそうですなぁ。今までとは違うポーズのものもいくつか発表されているようで,表情が変わると少しイメージが変わるような気もしますね。今までのにんまりと笑う顔でなくて,にっこり顔で歩くポーズのものは結構さわやか…かも。それでもやっぱり,駄目ですかぁ…。滝汗
 今日は,その前に新しいマスコットキャラクターのデザインを公募する動きも報道されていました。奈良県内のデザイナーが頑張るようです。

産経新聞(2008.4.15 12:25)
奈良のデザイナーら、遷都マスコットの公募開始

 「かわいくない」との批判が出ている「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターに対抗し、奈良県内のデザイナーらが15日、独自にデザインの公募を始めると発表した。
 「クリエイターズ会議・大和」で、募集は5月15日までの1カ月間。郵送と同会議ホームページで受け付け、最終的に投票で決める。

 現マスコットは「シカの角を生やした仏教的な装いの童子」。奈良県などでつくる祭りの事業協会がこの日午後、愛称を発表する。
 同会議は新たなマスコットと現マスコットの関係について「友達として一緒に祭りを盛り上げたい」としている。連絡先は同会議の事務局((電)0742・35・5209)。

 新しいマスコットは,平城遷都1300年祭事業協会の「せんとくん」とは敵対せずに,友達関係になるようなので,とりあえず安心安心。マスコット同士仲良くやってください。果たしてどんなマスコットが決まるでしょうか。突飛なものを期待しています。微笑
 「奈良県らしいけど新しい」というのはなかなか難しいですね。1984年の奈良わかくさ国体に「やまとくん」というマスコットがいたそうなんですが,それが丸々そのまま大仏さんでして,頭にぶつぶつがついてます。やっぱりなぁ~という感じですね。このときには批判はなかったんでしょうかね…。まぁ,時代が違いますか。

実用外交の第一歩か

 韓国の李明博大統領が,相次いで日米を訪れるそうです…。

産経新聞(2008.4.14 22:02)
李明博韓国大統領15日訪米 20日に訪日へ

 【ソウル=久保田るり子】韓国の李明博(イミヨンバク)大統領は、就任以来初めての外国訪問で15日から米国、日本両国を訪れ首脳会談に臨む。過去10年の革新政権下では主に対北朝鮮問題で米韓関係がぎくしゃくし、日韓は歴史認識問題などをめぐる対立から首脳交流が途絶えた。今回の2カ国歴訪を李大統領は「実用外交の第一歩」と位置づけ日米との友好修復と同盟強化、経済関係の活発化を目指す。日米韓の連携復活も国際社会に印象付けられることになりそうだ。

 出発に先立った13日の記者会見で李大統領は、対北朝鮮政策について、「挑発的な言動には原則を持ってき然と対処している」と述べたが、北朝鮮への対応を裏付ける意味でも米韓関係修復は李大統領の首脳会談の重要テーマとなる。米国とは在韓米軍再編や、ミサイル防衛など安全保障問題のほか米韓自由貿易協定(FTA)の批准などが話し合われる。ブッシュ大統領は李大統領を韓国大統領として初めて別荘のキャンプ・デービッドに招いて首脳会談を開く。

 また、日本訪問ではシャトル外交復活や、北朝鮮問題での連携、日韓FTA交渉の再開をはじめとし、日韓の財界、経済人交流など経済関係強化が図られる。

 李大統領は先に訪韓した日本の知事会議代表団に、「日韓関係を実質的に役立つ方向に発展させたい」と述べている。李大統領は15日にニューヨーク入りし、19日に米韓首脳会談に臨む。20日に日本に到着し、21日に福田康夫首相と会談する予定だ。

 長い間ギクシャクしていた日韓関係ですけど,新しく就任した李明博大統領は,未来志向の外交と言う建前で日本との関係修復に臨むようですね。盧武鉉元大統領も,就任当初はそんなことを言っておいて,すぐに反日に転じましたので,どこまで続くのか注目されるところです。

 韓国の人たちにとって反日を行うことは,幼少のころからの教育で徹底されていることですし,すっかり日常生活の風景の一つと化しているようですので,今回の李大統領の訪日に際しても,韓国内からの様々な圧力があるようです。そして,歴史問題に関しては,日韓の間で合意を得ることが現在のところほとんど不可能ですので,ここは,李明博大統領の腕の見せ所でしょうか…。どうやってごまかすか…。日本の首相は,韓国にとっては幸いの福田さんですし…。

 今朝,テレビのニュースを見ていたら,韓国では今,日本の併合時代の建築物の保存運動が注目を集めているとのことです。十数年前に,歴史的建造物の旧朝鮮総督府庁舎を破壊したことを考えると,にわかには信じられないことなんですが…。
 韓国で言われるところの日帝時代(併合時期)に建てられた建築物は「日帝残滓」とされ,これまでにも事あるごとに破壊されてきました。測量用の杭でさえ,朝鮮民族の精気を奪うための日帝の陰謀だとしてあちこちで抜きまくってしまったという,ちょっとほのぼのとした話もありますね。ただ,橋などの真に実用的なものはそのまま残されているものが多いそうですが。

 最近の韓国では,併合時代の日本の役割を再評価する教科書がつくられたというニュースも入っていますので,今までよりは多少風通しがよくなっているのでしょうか。ただ,この教科書は,韓国では「韓国版の扶桑社教科書」という位置づけみたいですけどね。

 とりあえず,李明博大統領のこれからの動きに注目です。前任の大統領があまりにもあんまりな方でしたので,たいていの人はまともに見えるかもしれませんが,韓国内の事情に関わらずどこまで我慢できますか…。1年ぐらいは様子見ですかね。

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