昨日はとても天気がよくてポカポカと暖かく気持ちがいい日でしたね…。花粉症の人にはつらい天気なんでしょうが…。こんな気候に誘われて,この3月いっぱいで休館となる滋賀県立琵琶湖文化館(大津市打出浜)に行ってきました。
この琵琶湖文化館は城の天守を模した独特の建物で,存在そのもののはずっと以前から認識していましたが,れっきとした歴史博物館であることを長い間知らずにいました…。なんか変わった建物があるけど,なんだろうなぁ…ぐらいの認識で…。今回,休館の知らせを聞いて,一度は行っておかねばという思いだけでふらっと訪ねたという訳です。
琵琶湖文化館に入館する前に横を歩くと,何かの碑がありますね。これは戦国の世,織田信長を討った明智光秀が山崎の合戦で敗れたことを知った明智左馬之助(明智光秀の娘婿)が,坂本城を目指すために,敵方に囲まれたこの碑の付近から馬にまたがったままで琵琶湖を渡ったとされる「明智左馬之助湖水渡り」の碑なんだそうです。碑の横にある説明を「へぇ~」と読みながら,いざ琵琶湖文化館へ。
で,琵琶湖文化館の写真を撮ろうと思って建物を見上げると,てっぺんにトンボがあるのに気づきました。ん?なんで博物館にトンボなのかな…。そう言えば,館内にある説明書きなどにも度々イラスト化されたトンボが登場して,何かのシンボルのように扱われています。という訳でちょっと調べたら,京都新聞に次のようなコラムが掲載されていたようです。一応参考までに。
京都新聞(2008年02月19日)
凡語 トンボと琵琶湖文化館
あきつ、はトンボの古名である。おそらく黄金色の稲穂が揺れ、トンボが群舞する列島のイメージから来たのだろう、古代の日本はあきつ島と呼ばれた▼そのあきつ島のほぼ真ん中に滋賀県があることにちなみ、大津市の県立琵琶湖文化館の屋根の上には大きなトンボが設置されている。一九六一年の建設時に、館のシンボルとして作られた▼県民の間では、ヤンマーの創業者で滋賀出身の山岡孫吉が同館建設の際の大口寄付者だったことから、社名のルーツのオニヤンマにちなんで設置された、との説も流布するが、こちらはどうも俗説らしい▼トンボの形はオニヤンマではなくアキアカネであり、いくら大口でも民間の一寄付者を特別扱いするのは公立施設として不自然だからだ。とはいえ、こういう伝説が生まれるのも、県民の多額の寄付で誕生した歴史があればこそだろう▼その琵琶湖文化館が県の財政難を受け三月末で休館になる見通しだ。休館前の最後の特別公開「近江の美術」では、国宝や重文などを並べ、半世紀近い収集の成果を学芸員たちが渾身(こんしん)の思いをこめて披露している▼トンボは実りの季節の象徴である。仏教美術を中心とする五千余点の館蔵品はまさに湖国文化の実りの精華だ。この宝を死蔵させず、何とか生かし続けてほしい。でなければ、嘉田知事のもったいない精神が泣く、トンボも泣く。
この日の琵琶湖文化館では,休館前の特別公開「近江の美術」シリーズの最終展示である「仏教美術の精華」という展示が行われていました。私は,こういう仏像や仏画には全然詳しくないですけど,その丁寧なつくりや表情には思わず引き込まれますね。こういった貴重な文化財が多数収蔵された博物館が,滋賀県の財政状況のあおりを受けて休館するのは,大変残念ではありますね…。何といっても,日本の中で滋賀県は文化財の宝庫と言える存在でしょうから。