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日本の神仏

日本の「神仏習合」に関して,ちょっと興味深い記事がありました。

京都新聞(2008年3月3日)
関西ぐるっと神仏巡礼

 「神仏習合」という日本の伝統的な信仰の再興を目指す「神仏霊場会」の設立総会が2日、大津市の延暦寺会館で開かれた。伊勢神宮(三重県)から延暦寺(大津市)までを125社寺でつなぐ巡礼の新モデルコース「神仏霊場巡拝の道」を創設して、人々の心の安定や社会平和に貢献していく。
 宗教学者の山折哲雄さんを中心に、石清水八幡宮(八幡市)や清水寺(京都市東山区)、住吉大社(大阪市)、法隆寺(奈良県斑鳩町)など関西の有名社寺が発起人となり、参加を呼び掛けていた。
 京都46、滋賀18社寺のほか、大阪、兵庫、奈良、和歌山の2府4県から計124社寺が参加する。伊勢神宮は特別参拝の形をとる。
 総会では、会長に選ばれた森本公誠・東大寺長老が「神さま、仏さまを共に敬うことこそが日本人の精神の柱であり、世界へ発信していきたい」とあいさつ。引き続き、事業計画を決めた。
 9月8日には、参加社寺の住職、宮司らが伊勢神宮へ正式に参拝して奉告式典を行う。併せて、この巡拝コース専用の朱印帳(1000円)を各社寺で発売する。ガイドブックも作る。
 各社寺には霊場番号を付けているが、あくまでもモデルコースであり、回り方は自由という。
 発起人の山折さんは「神道、仏教、学会の3者で神仏共存の伝統的な信仰を回復し、神仏霊場巡りを人々の心の旅として国民運動にまでつなげたい」と話している。

 日本では「神様,仏様,稲尾様」といったちょっと古い流行語があるように,神も仏も一緒にしたような「神仏習合」という神と仏の合体と言う概念があります。今でも,寺の中に神社があったりしますからね。日本で仏教が受け入れられたのは,日本の神道における八百万(やおよろず)の神という考えのもと,仏もその神の一つという考えを持ち得たからであると言えるのでしょう。

 その後の仏教と神道の共存の過程には,神を仏の化身とする考え方や,逆に仏が神の権化であるとする考え方もあったとされていますが,日本人の倫理観に大きな影響力を持った神道は,仏教に対しても大きな影響を与えているようですね。神道では,人間は自然から生まれ,死ねば神となって自然に帰っていくとされますが,それは八百万の神という考えにつながり,祖先崇拝にもつながるかと思います。

 それに対して元々の仏教は,人間は死ねば輪廻転生し,その中でいずれは釈迦のような仏となるべく切磋琢磨するものとされていたようです。崇拝すべきは祖先ではなくて,祖先を導いてくれた釈迦如来ということになりますか。しかし,その神道と仏教が融合して,人間は死ねばみな神仏となると考えられるようになったことで,日本の仏教におけるお盆の行事に祖先崇拝の色が濃く表れるようになったということは言えそうですね。

 こんなことを考えているうちに,元寇(蒙古襲来)のことを思い出しました。鎌倉時代の日本は,モンゴル帝国の襲来によって,多大な被害を受けました。この戦いの後,時の執権であった北条時宗は,元寇のときの戦死者を敵味方の区別なく弔うために,鎌倉に円覚寺を創建したとされています。う~ん,現代的な感覚なら,沖縄の平和の礎のような戦没者全員の記念碑を建てるということは考えられますけど,今から700年以上も前の鎌倉時代に,敵さえも弔うような考え方があったということはかなりの驚きですね。これは,人間は死ねばみな神仏になるという日本的な死生観の典型的な表れなんでしょうね。

 また,太平洋戦争(大東亜戦争)のさなかの1945年4月,アメリカのルーズベルト大統領が急逝したときに,日本の鈴木貫太郎首相はアメリカに弔電を送りました。ニューヨークタイムズがこの内容を報道したそうです。「ルーズベルト大統領のリーダーシップが非常に成功し,今日のアメリカの優位を築いたことを認めざるを得ません。アメリカ国民の深遠な喪失感に同意し,深甚なる哀悼の意を表します」。

 日本の伝統的な「神仏習合」という信仰の再興を目指す「神仏霊場会」には,数多くの寺社が参加するようですが,親鸞を開祖とする浄土真宗は,もともと「神仏習合」への批判から出発した宗派ということもあって,参加していないようですね(当たり前か…)。また,浄土真宗の本願寺派(西本願寺)については,高名な同和団体との深いつながりが指摘されているようですが,この話に触れるには私のメモリがだいぶ足りないようです。滝汗

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