このところ,沖縄関連のニュースが入ってますので,その所感などを…。
朝日新聞(2008年02月16日11時31分)
自己責任論にNO 女性団体、立ち上がる 米兵事件
在沖縄米海兵隊員が女子中学生を暴行したとして逮捕された事件で、沖縄や東京の女性団体が抗議行動に立ち上がる。米兵による性犯罪が起きるたび、「ついてゆく方も悪い」などと被害女性に責任を転嫁し、根拠もなく中傷する物言いが繰り返されてきた。今回もインターネット上などで同様の現象がある。その風潮が変わらない限り被害はなくならない、との思いが集会に参加する女性たちにはある。
「危険な場所に出かけていくような行為は慎むべきだ」「うろうろしてたらアメジョと思われるだけ」。インターネットの掲示板には海兵隊員の逮捕直後に事件を語る投稿欄がいくつもできた。被害者や米兵と親しい女性たちに関するそんな書き込みであふれている。
「アメジョ」は、米兵と親しくする女性たちを快く思わない人たちが反感を込めて使う言葉だ。
「沖縄のことも被害者のことも何一つ知らない人たちが、被害者を中傷することだけは、絶対に阻止したい」
「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代さん(67)はそんな思いも込め、19日に沖縄県北谷町で緊急女性集会を開く。
事件直後に出した抗議声明で、米側への要求の一番目に「被害少女への精神的ケア」を掲げた。「あなたは悪くない。痛みを共有しています」と少女に伝えたかった。
会を仲間とつくったのは、95年の米海兵隊員ら3人による少女暴行事件がきっかけだった。
数年前にあった米兵による暴行事件の公判を傍聴したときのことが忘れられない。証言台に立った被害女性に、米兵の弁護人が尋問した。「あなたはアメジョですか」。被害を訴えればこういう目に遭う、という見せしめだと感じた。
基地内に連れ込まれて乱暴された女性が、周囲の中傷に遭い、県警に出した被害届を取り下げたケースも見てきた。
今回、被害に遭ったのは14歳の中学生。日曜日の午後8時半、アイスクリーム店から友達と出てきたところを米兵に声をかけられた。店の場所は繁華街とはいえ、家族連れも出入りする商業施設。基地の集中する県中部の沖縄市では、市民の生活圏と米兵たちが余暇を過ごす場が重なっている。街に出れば米兵と行き会うのは日常のことだ。
同世代の子たちはどう感じているのか。
県中部の高校2年の女子生徒(17)は「繁華街に出かけると、米兵にプリクラや携帯電話の番号を交換しようと話しかけられることも多い」と言う。米兵の友達もいるが、危険な目に遭ったことはない。「米兵の友達を作ることが悪いんじゃなくて、悪いのは性犯罪をする人でしょ?」
犯行現場近くに住む女子中学生(15)の門限は午後8時。でも、被害少女が「夜遊び」をしていたとは思わない。「米兵ってどんな人たちなのか、知ってみたくなったんじゃないのかな」
女たちの会の高里さんは「沖縄の生活も知らずに『夜出歩く方が悪い』と非難していては、なぜ米兵の性犯罪がなくならないのか問題の本質を見誤る」と言う。高里さんらと連動し、東京でも19日、「アジア女性資料センター」など三つの女性団体が抗議デモをする。
この事件において,暴行した米兵はもちろん厳しく処罰されるべきです。しかし,沖縄の人々が本気でこの問題を解決したいということなら,被害を訴えるだけでなくて,女子中学生が夜の繁華街で米兵について行くという現状を,もっと問題視した方がよろしいかと思います。沖縄の人は盛んに被害を訴えますけど,それに対して自らがどのように行動しているかをもう少し考えていただきたいですね…。米兵の被害を訴えるなら,少なくとも被害を最小限に留めるように自らも注意すべきだと思いますし,子どもにもそのように教育すべきでしょう。近年の沖縄の成人式を見るにつけ,沖縄の教育は完全に崩壊してしまったのではないかと本気で危惧しています。
教科書の集団自決について「歴史を捏造するな」などと叫ぶのもいいですが,教科書は日本軍が集団自決を強要したことを否定しているわけではありません。そもそもが歴史学ですから,事実と検証されていないことは載せるわけにはいきません。その教科書の改変を数の力で押し切ろうなどとは言語道断だと言わざるを得ません。さらに,教科書検定への反対集会の参加人数を数倍も偽って発表しているさまは私には正気とは思えません。
沖縄の人は沖縄戦での証言をもって集団自決が日本軍に強要されたのだと言いたいのでしょうが,そんな偽りの発表をしている人々の証言を誰が信用するのか,ということもぜひ頭の片隅にでも置いていただきたい…。沖縄以外の人が腫れ物に触るかのような感覚でいることを承知の上で数の力を誇示するような態度を取るなら,それは恫喝と一緒です。平和を願う心は日本中が共有しているはずですから。
基地の問題は沖縄の人にとって,とても深刻なことだとは思います。しかし,それで沖縄の人が理不尽な行動をとっても構わないということにはなりません。いつまでもぶれない理性的な行動が一番求められるのではないかと。沖縄の人には大事なことを見失わないでいただきたい。沖縄で生まれた者として,切にそう願います。