さて,京都の嵯峨野と言えば,のどかな田園風景を思い浮かべる人も多いと思いますが,今回の落柿舎(らくししゃ)はその田園風景に溶け込みながら佇んでいます。う~ん,これぞ典型的な日本の原風景という感じですねぇ。しばらくボーっとひなたぼっこでもしていたいような風景です。
落柿舎は江戸時代の俳人・松尾芭蕉の弟子で,蕉門(しょうもん)十哲の一人とされる向井去来の草庵です。松尾芭蕉も何度か滞在し,元禄四年(1691)の滞在時には「嵯峨日記」を執筆したと言われています。
向井去来が記した「落柿舎記」には,名前の由来についての記述があります…。落柿舎の庭に柿の木が40本あって,その柿の実を購入する約束をした商人が,代金を置いて帰ったそうです。ところが,その夜の嵐によって柿の実がほとんど落ちてしまいました。驚いて駆けつけた商人に去来が代金を返したということで,それが落柿舎の名前の由来となっているとのことです。庭には,「柿主や木ずゑは近きあらしやま」と記された去来の句碑もあります。
しかし,現在の落柿舎には,柿の木が40本も生えるほど広い庭はありません。実は,もともと落柿舎があったのは少し違う場所で,俳人の井上重厚が明和七年(1770)に再建したときに現在の場所になったそうです。その後,明治28年(1895)にも再建されているようですね。落柿舎の北側は弘源寺の墓苑になっていて,そこに向井去来の遺髪を納めたという墓があります。しかし,去来の葬儀は哲学の道近くの真如堂で行われ,そこに墓もあるとのことですので,こちらが本来の墓でしょうか。
落柿舎の門を入ったところには蓑と笠がかけてあります。もともと,去来が在宅ならかけておき,かかっていなければ外出中というしるしでしたが,現在は落柿舎の象徴として常にかかっています。当時の俳人たちの生活の風景が表れているような感じがしますね。
落柿舎の庭には,この庵に関わってきた人々や功労のあった人々の句碑があちこちに建てられています。その句碑を見ながら,のどかな佇まいの中でのんびりとするのも一興でしょう。また,落柿舎にある投句箱に投句された句のうち,入選句は季刊誌「落柿舎」に掲載される上に自宅にも郵送してもらえるそうです。落柿舎を訪れた際には,旅の記念に一句ひねってみてはいかがでしょうか。