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【京都の寺社】宝筐院

 今回は,前回の落柿舎から北東に少し歩いたところにある宝筐院(ほうきょういん)。見た目はひっそりとした雰囲気の寺院ですが,紅葉の名所として有名ということで,秋ともなると,多くの人が訪れるようです。微笑
 宝筐院は臨済宗の単立寺院で,本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像。室町幕府の二代将軍・足利義詮(あしかが・よしあきら)と南朝の忠臣・楠木正行(くすのき・まさつら)の菩提寺として知られています。

 この楠木正行というのは,河内国の豪族として有名な楠木正成(まさしげ)の嫡男です。足利尊氏が室町幕府を開いて南北朝が対立した時代,南朝方の武将として幕府と戦って討ち死にした人物です。父親の正成が大楠公と尊称されたことに対して小楠公(しょうなんこう)とよばれました。宝筐院には,対立したはずの幕府方の足利義詮と南朝方の楠木正行が,なぜか一緒に葬られているということになります。

 そんな疑問も持ちながら,以下,パンフレットの記述です。とてもよくまとまっているので,そのまま引用したりします…。滝汗

==パンフ始まり==

宝筐院略史
 平安時代に白河天皇(1053~1129)の勅願寺(天皇の発願によって建てられた寺)として建てられ,善入寺と名づけられた。平安の末から,鎌倉時代にかけては,数代にわたり皇族が入寺して住持(寺院の住職)となった。
 南北朝時代になり貞和年間(1345~50)より夢窓国師の高弟の黙庵周禅師が入寺し,衰退していた寺を復興して中興開山となり,この善入寺にあって門弟の教化を盛んにし,これ以後は臨済宗の寺となった。

 室町幕府の二代将軍・足利義詮は,貞治四年(1365)に母の死去にあい,その法要の席において黙庵から経典の講義を聞き,更に参禅問答したことを契機に黙庵に帰依し,師のために善入寺の伽藍整備に力をいれた。
 東から西へ総門・山門・仏殿が一直線に建ち,山門・仏殿間の通路を挟んで北に庫裏,南に禅堂が建ち,仏殿の北に方丈,南に寮舎が建っていた。寺の位置は「応永均命図」(室町時代前期の嵯峨地域寺院配置図)によると現在地と変わらない。

 貞治五年に観林寺と改称されたが,まもなくもとの名にもどされ,貞治六年(1367),義詮が没する(38歳)と,善入寺はその菩提寺となり,八代将軍・義政の代になって義詮の院号の宝筐院に因み寺名は宝筐院と改められた。備中・周防などに寺領があり,足利幕府歴代の保護もあって寺も隆盛であったが,応仁の乱以後は幕府の衰えと共に寺領も横領されるなど経済的に困窮した寺は次第に衰微した。
 その後,江戸時代には天龍寺末寺の小院で,伽藍も客殿と庫裏の二棟のみとなり,幕末には廃寺となったが,五十数年をへて復興された。

小楠公首塚由来
 黙庵は河内の国の南朝の武将・楠木正行と相識り,彼に後事を託されていた。正平三年・貞和四年(1348)正月,正行は四条畷の合戦で高師直の率いる北朝の大軍と戦い討ち死し(23歳),黙庵はその首級を生前の交誼により善入寺に葬った。後にこの話を黙庵から聞いた義詮は,正行の人柄を褒めたたえ,自分もその傍らに葬るように頼んだという。
 明治二十四年(1891),京都府知事・北垣国道は小楠公(楠木正行)遺跡が人知れず埋もれているのを惜しみ,これを世に知らせるため,首塚の由来を記した石碑「欽忠碑」を建てた。

伽藍再興
 楠木正行ゆかりの遺跡を護るため,高木龍淵天龍寺管長や神戸の実業家の川崎芳太郎によって,楠木正行の菩提を弔う寺として宝筐院の再興が行われた。
 旧境内地を買い戻し新築や古建築の移築によって伽藍を整え,屋根に楠木の家紋・菊水を彫った軒瓦を用い小楠公ゆかりの寺であることを示した。
 大正六年に完工し,古仏の木造十一面千手観世音菩薩立像を本尊に迎え,主な什物類も回収され,宝筐院の復興がなった。その後更に茶室が移築され,現本堂が新築された。
 現在は臨済宗の単立寺院。

楠木正行・足利義詮墓所
 石の柵に囲まれて,二基の石塔が立つ。五輪塔(※写真右側)は楠木正行の首塚(首だけを葬ったから),三層石塔(※写真左側)は足利義詮の墓と伝える。当院再興の時に残されていた石塔はこの二基のみであり,その他の墓は不明だが時折石塔の小部分が出土することがあり,多くの石塔が立っていたことがわかる。荒廃し廃寺となっている間に,殆どのものが石材として持ち去られたのであろう。墓前の石灯籠の書は富岡鉄斎の揮毫。「精忠」は最も優れた忠。「碎徳」は一片の徳,即ち敵将を褒めたたえその傍らに自分の骨を埋めさせたのは徳のある行いだが,徳全体からみれば小片にすぎない,という意味で義詮の徳の大きさを褒めた言葉。

==パンフ終わり==

 対立したはずの幕府方の足利義詮と南朝方の楠木正行が,一緒に葬られているという疑問に答えるパンフレットでした。
 それにしても,宝筐院の紅葉はきれいですね。この庭園は回遊式の枯山水庭園ということです。普段は静かな庭園に大勢の人が訪れる理由がよく分かります。紅葉の色もさまざまで,そのコントラストが微妙な風合い醸し出していますね。笑顔

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