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【京都の寺社】二尊院

 今回の二尊院は,嵯峨野にある天台宗の寺院。前回の常寂光寺のすぐ北側にあって,同じ小倉山の中腹にあります。二尊院の名の由来は,本尊の「発遣(ほっけん)の釈迦」と「来迎(らいごう)の阿弥陀」の二尊だそうですが,ちょっと分かりにくいですかねぇ…。困惑
 二尊院の入り口にあたる総門ですが,前回の常寂光寺の土地を提供したとされる京都の豪商・角倉了以が伏見城の薬医門を移築したものということで,境内には角倉了以の墓があります。ふ~ん,彼は色々なところに関わっているんですね。境内にはさらに,三条実美や阪東妻三郎などの墓もあるとか…。え…あの映画俳優の「阪妻」ですか。田村正和氏のお父上と言った方が通りがいいでしょうか。微笑

 ということで,二尊院のパンフレットをめくってみます。今回のパンフレットはかなり丁寧な語り口で書かれています…。
『「百人一首」で名高い小倉山の東麓にあって,本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため,二尊院と呼びますが,正しくは「小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)」といい,明治以降天台宗に属しております。嵯峨天皇(在位809~823)の勅願により慈覚大師(円仁)が承和年間(834~847)に開山したといわれております。

 釈迦如来は,人が誕生し人生の旅路に出発するときに送り出してくださる「発遣の釈迦」といい,阿弥陀如来は,その人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎えくださいます。これを「来迎の阿弥陀」といいます。共に鎌倉時代の春日仏師作(重要文化財)と伝わっております。この思想は,唐の時代中国の善導大師が広め,やがて日本に伝わり法然上人に受け継がれたのです。その為に現在は法然上人二十五霊場十七番札所となっています。当時は,明治維新まで天皇の名代として勅使参詣があり,御所でのすべての仏事を司り公家方との交流も盛んでした。
 応仁の乱(1467~1477)によって諸堂が全焼しましたが,現本堂,唐門(勅使門)は約三十年後に再建されました。本堂「二尊院」の勅額(後奈良天皇),唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇)は,このとき下賜されたものです。』

 二尊院を開いた慈覚大師(円仁)は天台宗の開祖である最澄の弟子で,天台宗のトップである天台座主となった人物です。また,二尊院は,藤原定家の山荘・時雨亭があったところと伝えられているそうなんですが,前回の常寂光寺も同じように伝えられていたような…。はたしてどちらが正しいでしょうか。ひょっとしてどちらにもあったのか,はたまた同じ場所のことを言っているのか…。にやり

 まぁそんな歴史もありますけど,参拝するものとすれば,とりあえず総門から続く「紅葉の馬場」とよばれる参道の紅葉を楽しむのがいいですね。この参道は結構広くて長いので,なかなか見ごたえがありますよ。笑顔

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